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  • 2月3日、今日は【大岡越前の日】

    更新 : 2011/2/4 2:16

    今日は【大岡越前の日】です。

    由来は、1717(享保2)年の今日、大岡越前守忠相が南町奉行に就任した。「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名であるが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけだった。8代将軍吉宗の信頼が厚く、享保の改革に協力した。

    大岡越前とは、大岡忠相(おおおかただすけ)といい、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の4代当主で、9代将軍・家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。

    8代将軍・吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、地方御用や寺社奉行を務めた。越前守だった事と『大岡政談』や時代劇での名奉行としてイメージを通じて、現在では大岡越前として知られている。通称は求馬のち市十郎、忠右衛門。諱は忠義、のち忠相。位階:従五位下。官職:能登守から越前守に転任。

    忠相の江戸町奉行時代の裁判の見事さや、江戸の市中行政のほか地方御用を務め広く知名度のあった忠相が庶民の間で名奉行、人情味あふれる庶民の味方として認識され、庶民文化の興隆期であったことも重なり、同時代から後年にかけて創作「大岡政談」として写本や講談で人々に広がった。「徳川天一坊」、「村井長庵」、「越後伝吉」などがある。これらは日本におけるサスペンス小説の原初的形態を示すものと言える。忠相の没後から講釈師による原型が作られると、幕末から明治にかけて発展し、歌舞伎などの素材などにも使われた。

    通常、大岡は庶民の味方、正義の武士として物語に登場する。だが、学習院大学名誉教授の大石慎三郎は、大岡に関する伝記史料として信ずるに足りるのは『大岡忠相日記』がほとんど唯一のものである、とする。この日記は、私生活を記したいわゆる日記ではなく、公人としての忠相の職務日録であり、行政官僚としての町奉行を活写しており、大岡政談とほとんど関係ないことがわかる。しかしながら町火消し制度の創設や、小石川養生所の設置などの事実に、「政治家はかくあるべし」という江戸庶民の願望が仮託されて「政談」に結晶されたともいえる。

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