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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
2月16日、今日は【寒天の日】
更新 : 2011/2/16 3:06
今日は【寒天の日】です。
由来は、2005(平成17)の今日、テレビの全国放送で寒天が健康食品として紹介され、その後の大ブームにつながったことと、天然製造の寒天は、この時期に大詰めとなることから、日本一の寒天の産地、長野県の茅野商工会議所と、長野県寒天水産加工業協同組合が制定した日。
寒天(かんてん)とは、テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したものである。日本国内の流通量では2000(平成12)年以降、工業的に製造された輸入品の数量が従来製法を含む国産品を上回っている。食用のゲル(ゼリー)の材料という点では、牛や豚から作られるゼラチンに似ているが、化学的には異なる物質である。
江戸時代初期の1685年(貞享2年)、現在の京都府伏見において旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が、戸外に捨てたトコロテンが凍結し、日中は融け、日を経た乾物を発見した。これでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができた。黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒天」と命名したという。
その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広める。さらに、天保年間(1830年から1843年)に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着した。
1881(明治14)年、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えた。このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であったが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止した。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発した。こうして作られたのが粉末寒天である。第二次大戦後には日本でも工業的な製造法の研究が始まり、1970年頃には製造会社が35社にまで達した。しかし、2004年(平成16)年には5社ほどにまで激減。諸外国ではモロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチンで寒天が製造されている。