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2月17日、今日は【アドリアーノ、誕生日(1982)】
更新 : 2011/2/17 23:44
今日は【アドリアーノ・レイテ・リベイロ、誕生日(1982(昭和57)年)】です。
アドリアーノ・レイテ・リベイロ("Adriano" Leite Ribeiro)とは、ブラジルリオデジャネイロ市出身でブラジル代表のサッカー選手。ポジションはFW。ニックネームはインペラトーレ(葡(ポルトガル語): Imperador、皇帝)。
少年時代はDFで主に左サイドバックを務めていた。
ブラジル・リオデジャネイロを本拠地とするCRフラメンゴに在籍中の2001(平成13)年に同年のワールドユースなどでの活躍がスカウトの目に留まり、セリエAのインテルへ入団。その後、フィオレンティーナへレンタル移籍し、1年でインテルへ戻るが、今度はパルマへ移籍した。
パルマでは、アドリアン・ムトゥ、中田英寿と共に前線を形成し、得点を量産。その活躍が認められ、再びインテルへ移籍し、獅子奮迅のパフォーマンスを見せてエースに成長。特に、父の死を乗り越えた後の活躍は素晴らしく、ゴール後に両手で天を指すようになった。2004(平成16)年南米選手権と2005(平成17)年FIFAコンフェデレーションズカップでは共に得点王とMVPに選ばれるなどの大活躍で同国を優勝に導きブラジル代表におけるポジションを確固たるものとした。
2006(平成18)年W杯では2得点を上げたが、不完全燃焼に終わり評価を下げた。2006-07シーズンは長きにわたって無得点を続け、私生活のトラブルなどもあり、優勝戦線の先頭を走るクラブのお荷物扱いされた。
2007-08シーズンも厳しい状況下で迎え、10月のレッジーナ戦で交代を命じられ不満を露にすると、その後の練習を無断欠席して物議を醸した。11月にブラジルに一時帰国したが、翌月サンパウロへの半年間の期限付移籍が発表された。なお、イタリアでは2006(平成18)年、2007(平成19)年と2年連続で年間最悪選手「金のバケツ賞」を受賞、2008(平成20)年にも3位にランクされた。
2008(平成20)年夏にインテルに復帰したが、11月以降は規律違反からスタメンを外れがちとなり、12月中旬に負傷者リスト入りしてそのまま帰国。
2009(平成21)年4月24日にインテルとの契約を解除し、5月にフラメンゴに再入団。チームの17年ぶりのブラジル全国選手権制覇に大きく貢献。2010(平成22)年6月9日にASローマへの移籍が発表された。しかし2010-11シーズンは怪我や減量の失敗などに見舞われ、2010(平成22)年末には3年ぶり3度目となる「金のバケツ賞」に選出された。