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  • 2月19日、今日は【屋島の戦いで平氏敗北(1185)】

    更新 : 2011/2/21 15:59

    今日は【源氏が屋島の戦いで平氏に勝利(1185)】です。

    屋島の戦い(やしまのたたかい)は、平安時代末期の1185(元暦2・寿永4)年2月19日(旧暦3月22日)に讃岐国屋島(現・高松市)で行われた戦いである。治承・寿永の乱の戦いの一つ。

    2月、源義経は摂津国の水軍渡辺党と紀伊国熊野別当湛増の熊野水軍(和歌山県白浜町に由来)、そして河野通信の伊予水軍を味方につけて、摂津国渡邊津に兵を集めた。

    2月18日午前2時、暴風雨のために戦奉行の梶原景時は出航を見合わせようとするが、義経は僅か5艘150騎で出航する。同日午前6時に義経の船団は暴風雨をつき通常3日の航路を4時間ほどで阿波国勝浦に到着。

    まず、義経は平氏方の豪族桜庭良遠の舘を襲って打ち破る。その後、徹夜で讃岐国へ進撃して翌2月19日に屋島の対岸に至る。干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経はそのまま強襲をかける。海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。

    やがて、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきた。

    夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが辞退し、重忠は代りに下野国の武士・那須十郎を推薦するが辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。

    与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。しばらく春風にもまれ、さっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。美しい夕日を後ろに、赤い日輪の扇は白波を浮きつ沈みつ漂い、沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。これを見ていた平氏の武者が、興に乗って扇のあった下で舞い始めた。義経はこれも射るように命じ、与一はこの武者も射抜いて船底にさかさに射倒した。平家の船は静まり返り、源氏は再び箙を叩いてどよめいた。

    激しい戦いの末、平氏は彦島へ退いた。屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失った。義経は水軍を編成して、最後の決戦である壇ノ浦の戦いに臨むことになる。

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