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  • 2月20日、今日は【国府台合戦で北条氏が勝利(1564)】

    更新 : 2011/2/21 17:33

    今日は【第二次国府台合戦で北条氏が里見氏を破る(1564(永禄7)年)】です。

    国府台合戦(こうのだいかっせん)とは、戦国時代に下総国の国府台城(現・千葉県市川市)一帯で北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦である。

    1538(天文7)年に氏康の父、北条氏綱と足利義明、里見義堯が戦った合戦を第一次合戦という。この戦いは北条氏の大勝利におわり、房総方面に強大な支配権を持っていた里見氏の力は大きく後退した。

    その後も北条、里見の争いは続き、1563(永禄6)年と1564(永禄7)年に再び、国府台にて両雄は衝突した。これが、第二次合戦である。

    当時、北条氏は武田氏と同盟し上杉謙信と争い、また上杉氏は里見氏と同盟を結んでいた。このような状況のなか謙信は北条氏を挟撃しようと里見義弘に下総への出陣を要請したのである。

    1564(永禄7)年2月、里見義弘は要請に応え、下総に出陣。この急報はすぐさま、北条方の下総小金城主高城胤辰から北条氏康にもたらされた。氏康は上杉謙信と里見義弘による挟撃体勢が整う前に、里見勢を迎撃するため出陣の触れを発した。里見勢には岩付城の太田資正と北条を寝返った江戸城の太田康資の兵が加わり総勢8000人、一方、北条勢は20000人を数えた。

    1564(永禄7)年2月19日(旧暦1月7日)、両軍は江戸川を挟み対陣した。北条勢は江戸川を前にして国府台に向かう形で北条氏康、北条氏政、遠山直景、富永政家、北条綱成、松田憲秀、北条氏照、北条氏邦、大道寺直家らが布陣。里見勢は国府台の中麓に里見義弘、太田康資、太田資正、正木時茂、安西実元らが布陣した。

    戦いはまず、北条方の遠山直景、富永政家が先鋒となり国府台へ攻め登り火蓋が切られたが、里見方の正木時茂、太田康資の猛烈な反撃にあい、遠山・富永は高所からの攻撃に崩れたち両人とも討ち死に。里見側優勢のまま夜を迎える。

    その夜、里見方は勝利に酔い油断していると判断した氏康は夜陰にまぎれて軍を密かに移動させ包囲態勢をとって、翌20日早暁、氏康は多方向から同時に国府台の里見の陣に急襲を敢行した。不意をつかれた里見勢は散々に打ちのめされ里見義弘は上総へ太田資正は岩付城へ太田康資と正木時茂は岩槻へと散り散りに退却した。

    この戦いは里見方は5300人、北条方は3700人の死者を出すほどの激戦であったが、氏康は謙信の挟撃策を退けると同時についに下総方面を手中にしたのである。

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