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2月27日、今日は【新撰組の日】
更新 : 2011/2/27 10:07
今日は【新撰組の日】です。
由来は、1862(文久2)年の今日、「新選組」の前身「壬生浪士組(壬生浪士隊)」が結成されたことにちなむ。壬生浪士隊は、清河八郎の提案で事件が頻発している京都の警護に当るために幕府が江戸で募集をしたもの。翌1863(文久3)年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまう。まもなく幕府の帰還命令を受けて清川ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三ら24名はそのまま京都に残留し、京都守護職で会津藩の松平容保の配下に入り、8月に「新選組」と改称した。その後約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。
新選組(しんせんぐみ)とは、江戸時代末期に、京都において反幕府勢力取り締まりのための警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った治安部隊・軍事組織である。なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが多く、実際「新撰組」と表記された史料も多くある。局長の近藤勇自身、表記には両方の字を用いている。
幕末、京都は政局の中心地となり、諸藩から尊王攘夷・倒幕を掲げる過激派が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都町奉行と京都所司代のみでは防ぎきれないと判断した幕府は、新たな治安機関京都守護職を新設し、会津藩主の松平容保を就任させた。その京都守護職松平容保の配下で治安維持にあたった臨時警察部隊が新選組である。同様の組織に京都見廻組があった。ただし、新選組は浪士で構成された「会津藩預かり」という非正規部隊であり、京都見廻組は幕臣で構成された正規部隊であった。
新選組の隊員数は約60〜200名。佐幕派であり、京都に潜伏する尊王攘夷論者・倒幕過激派などの取り締まり(捜査、逮捕)、警邏、警備、暴動の鎮圧などにあたった。その一方で、隊の規則(局中法度)違反者を次々に粛清したり、凄惨な内部抗争を繰り返した。戊辰戦争が始まると、幕府軍の一員として従軍・参戦し、敗戦に伴い散り散りになり、解散した。
明治政府が彼らと敵対していた倒幕派たちによって樹立された経緯もあり、近年まで史学的にほとんど注目されることがなく、現在における人気は明治時代からの講談や、子母沢寛や司馬遼太郎らによる数々の小説・ドラマ・映画などフィクション作品の影響が大きい。