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  • 3月3日、今日は【ひな祭り】

    更新 : 2011/3/3 23:51

    今日は【ひな祭り】です。

    ひな祭り(雛祭り)とは、女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。【ひいなあそび】ともいう。

    和暦(太陰太陽暦)の3月の節句である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、1873(明治6)年1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なう。しかし一部では引き続き旧暦3月3日に祝うか、新暦4月3日に祝う。旧暦では桃の花が咲く季節になるため「桃の節句」ともいう。

    「男雛」と「女雛」を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しむ節句祭り。本来「内裏雛」とは雛人形の「男雛」と「女雛」の一対を指すが、男雛を「お内裏様(おだいりさま)」、女雛を「お雛様(おひなさま)」と呼ぶ誤りは童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化してしまっている。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。

    「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。

    江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。

    その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。この享保年間、人々の消費を当時の幕府によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。

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