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3月15日、今日は【万国博デー】
更新 : 2011/3/16 0:23
今日は【万国博デー】です。
由来は、1970(昭和45)年の今日、前日に開幕式が行われた大阪府吹田市千里丘陵の「日本万国博覧会(大阪万博)」の一般入場が開始された。
日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition)とは、国際博覧会史上アジアで初めて開催された日本で最初の国際博覧会。大阪府吹田市の千里丘陵(約350ha)において1970(昭和45)年3月14日 - 9月13日まで183日間、当代一の規模を誇った。別名:大阪万博、EXPO'70。しばしば万博と略称される。主催は、財団法人日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は皇太子明仁親王(2011(平成23)年現在今上天皇)、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、総入場者数は6,421万8,770人でと2010(平成22)年中国・上海で開かれたの上海万博(7278万人。ただし、大阪万博の入場料は800円と当時のサラリーマンから見ても高額であるのと、上海万博では記録更新に躍起になってチケットのバラマキ行為が行われている点、そして日本と中国との人口差を加味するべきである)に抜かれるまで、万博史上最多を記録し、国際万博史上初めて黒字となった。戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとなった。
日本においては東京オリンピック(1964(昭和39)年)以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。また大阪市など会場周辺市街地では国際万博開催への整備がなされ、道路や地下鉄建設など大規模開発が進められた。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970(平成45)年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。
なお、1940(昭和15)年3月15日 - 8月31日にかけて東京都で開催される予定だったが、日中戦争の激化などを受けて開催延期となった「紀元二千六百年記念万国博覧会」の前売り券は、代替としてこの万博で使用できることとなった。その結果約3000枚が使用された。