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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
3月21日、今日は【ランドセルの日】
更新 : 2011/3/21 21:07
今日は【ランドセルの日】です。
由来は、卒業式の頃、そして3+2+1=6で6年間ありがとうの意味から、ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の増田利正さんが提唱。小学生の背中で揺れるランドセル。6年間の思い出をいっぱいつめこんだこのランドセルに感謝の気持ちをとミニランドセルの制作者らが制定した日。
ランドセルとは、日本の多くの小学生が通学時に教科書、ノートなどを入れて背中に背負う鞄。
素材は2004(平成16)年現在では軽さや丈夫さ、手入れの簡単さなどの要望から、人工皮革のクラリーノ製が主流で、約7割を占めている。その他牛革、高級なものとしてコードバン(馬革)のものもある。素材デザインについては主流である従来の学習院型以外にも、上ふたが通常の半分程度の長さのものや横型のものも登場している。
色は男子は黒、女子は赤が主流だったが、「男は黒、女は赤」という既成概念が崩れてきたためか、ピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色のものや、ツートーンカラーのものも発売されている。これらのカラーランドセルは1960年頃には既に存在していたが、横並び意識からかほとんど売れず売れ始めたのは2000年代に入ってからという。
ランドセルの製作はほとんどが手作業で、1体に用いられる部品は金具も入れて100個以上となる。肩紐だけでも表材・裏材・ウレタンの型抜き、加工(糊付け・くるみ)、穴開け、ミシンがけ、かしめ、手縫いと10工程以上が必要となる。
江戸時代に幕府が洋式軍隊を導入する際、輸入した将兵の背嚢(はいのう、バックパックの意)のオランダ語での呼び名である「ランセル」(ransel)がなまって「ランドセル」になったとされ、幕末の教練書である『歩操新式』の1864(元治元)年版にもカタカナ表記で「ランドセル」の語が見られる。明治時代に帝国陸軍にて、歩兵など徒歩本分者たる尉官准士官見習士官用の背嚢として採用された。
通学鞄としての利用は、明治に入って官立の模範小学校として開校した学習院で将兵の背嚢を元にした物が使われるようになった。当時は学習院に通う子弟の間に経済格差が存在し、「教育の場での平等」との理念から導入された。当初はリュックサックのような形だった。後に伊藤博文が当時皇太子だった大正天皇の学習院初等科の入学祝い品として献上し、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったとされる。