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  • 3月31日、今日は【ピンク・レディー、解散(1981)】

    更新 : 2011/3/31 22:10

    今日は【ピンク・レディー、解散(1981(昭和56)年)】です。

    ピンク・レディー(Pink Lady)とは、1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミー(現・未唯mie、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)とケイ(現・増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。多くの楽曲を阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。

    ピンク・レディーは、1970年代前半の国民的アイドルだった天地真理や1970年代半ば〜後半にかけ人気を博した山口百恵らを超え、さらに時代を象徴するスーパーアイドルになったと言える。1978(昭和53)年のブロマイドの年間売上成績でも人気No.1に輝いた。また「サウスポー」や「透明人間」などのように、男女の恋愛を直接のテーマとしていない曲も、当時の歌謡曲には見られない特徴的なものだった。

    3年ほど早くデビューしていた、アイドルトリオのキャンディーズと比較されることが多かったが、当時のレコード売り上げ枚数はピンク・レディーの方が圧倒的に上回っていた。人気は爆発的に高まり、オリコンで連続9曲1位・10曲連続ミリオンセラーは、当時の新記録。

    ピンク・レディーの人気は、1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年の約2年間が絶頂期だったと言える。デビュー・シングル「ペッパー警部」のスマッシュ・ヒットのあと、「S・O・S」でピンクレディー人気に火がついた。その後「カルメン'77」のヒットに続き、「渚のシンドバッド」で頂点を迎えた。さらに「ウォンテッド(指名手配)」も大ヒットとなり、続く「UFO」でポップ・アイドルとして初めて日本レコード大賞を受賞する。これは日本歌謡界における“革命”であった。

    人気ロックグループ・サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」のふたつの曲のもじりである。両曲とも1977(昭和52)年の大ヒット曲であり、この時期のピンク・レディー人気がいかに巨大な存在だったかを物語っている。「渚のシンドバッド」は歌詞に「セクシー」という言葉が登場するが、これは日本のメジャーな歌謡史上で初めて使用された例だとされている。それでいて歌全体に淫靡なムードが漂わない辺りが、ピンク・レディーという存在の独特な個性だったと言える。

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