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4月9日、今日は【佐藤春夫、誕生日(1892)】
更新 : 2011/4/16 4:01
今日は【佐藤春夫、誕生日(1892(明治25)年)】です。
佐藤 春夫(さとうはるお)とは、日本の小説家、詩人。
和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に医師・佐藤豊太郎(号は鏡水)、政代の長男として生まれる。母政代は旧紀州藩士でお庭奉行を務めた竹田氏の娘。
和歌山県立新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)卒業後、上京して生田長江に師事、与謝野寛の新詩社に入る。旧制第一高等学校の入試に臨んだが試験を中途で放棄し、慶應義塾大学文学部予科に進む(のち中退)。慶應義塾大学では当時教授だった永井荷風に学ぶ。兄弟子に当たる久保田万太郎とは犬猿の仲であったが、荷風の死後明らかになった『断腸亭日乗』に、弟子の久保田と春夫を中傷する内容が書かれていたため、和解した。
1909(明治42)年から『スバル』『三田文学』に叙情詩、傾向詩を発表し、識者の注目を集める。
1911(明治44)年1月24日、同郷の医師である大石誠之助が大逆事件の被告として処刑されるが、その当時の心情を同年5月に詩「愚者の死」として『スバル』に発表し、折口信夫や上田敏に評価されている。
1917(大正6)年に神奈川県都筑郡に移り、『病める薔薇』の執筆を始め、翌年『黒潮』に発表。
1919(大正8)年にこの後半を書き足した『田園の憂鬱』を完成させて『中外』に発表。また同年8月から12月にかけて、短編「美しい町」を3回にわたって『改造』に分載。1921(大正10)年に『殉情詩集』を発表し、小説家、詩人として広く認められる。また『新青年』誌などで多くの推理小説を発表。
友人である谷崎潤一郎の妻・千代に横恋慕し、1930(昭和5)年に譲り受けるということがあった。谷崎と千代の離婚成立後、三人連名の挨拶状を知人に送り、「細君譲渡事件」として新聞などでも報道されてセンセーショナルな反響を呼び起こした。代表作である「秋刀魚の歌」(詩集『我が一九二二年』所収)も千代への思慕が背景にある。
1948(昭和23)年から日本芸術院会員。『新潮』編集長の齋藤十一から原稿を没にされてからは、齋藤および新潮社と縁を切った。
1960(昭和35)年、秋の叙勲で文化勲章受章。
1964(昭和39)年5月6日、朝日放送の「一週間自叙伝」というラジオ番組を自宅で録音中、「私は幸いにして…」という言葉を発した直後心筋梗塞を起こし、そのまま死去した。奇しくも、久保田の一周忌の当日のことだった。叙・従三位、賜・銀杯一組。