宿番号:348385
SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
4月11日、今日は【歌川国芳、忌日(1861)】
更新 : 2011/4/18 3:42
今日は【歌川国芳、忌日(1861(文久元)年)】です。
歌川国芳(うたがわくによし)とは、江戸時代末期の浮世絵師。画号は一勇斎。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。 しかし国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。 「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのは20世紀後半になってからといわれる。
作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたっているが、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。反面、肉筆画の作品は種類は多彩だが、現存数が少ない。
国芳は無類の猫好きとしても知られ、常に数匹、時に十数匹の猫を飼い、懐に猫を抱いて作画していたと伝えられる。内弟子の芳宗によると、家には猫の仏壇があり、死んだ猫の戒名が書いた位牌が飾られ、猫の過去帳まであったという。門弟たちは相当迷惑したらしいが、それだけに猫の仕草に対する観察眼は鋭く、猫を擬人化した作品も多い。 猫に限らず、狸・雀・蛸などの身近な動物を擬人化して世相を風刺したり、動物に託して江戸の庶民の生活を描写した作品も豊富で、これらからは現代日本にてますます盛んな漫画・劇画の源流の一つを見る事ができよう。
「寄せ絵」や、自宅で絵を描く自身の顔の前を、絵の中の動物や人物が横切り、自身の顔を隠している「自画像」のような遊び心のある作品も国芳の得意としたものである。
華美をいましめる天保の改革(1841(天保12)年)以後、幕府の禁令によって役者や遊女の1枚刷り錦絵は出版できなくなってしまうが、国芳はそんななかであるからこそ持ち前の江戸っ子気質を大いに発揮している。 『荷宝蔵壁のむだ書』のように壁の落書きを写し取ったという方便を使ったり魚の顔を役者の似顔にしたりするなど、さまざまな便法で禁令を潜り抜け、絵師は役者の似顔を世に送り出し続けた。
2008(平成20)年、富山県の農家の蔵から国芳を中心とした歌川派の版木が368枚発見され、購入した国立歴史民俗博物館により2009(平成21)年に公開された。これにより、国芳作品の創作過程の解明および浮世絵本来の色の復元が始まっている。