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  • 5月10日、今日は【小笠原貞慶、忌日(1595)】

    更新 : 2011/5/10 22:40

    今日は【小笠原貞慶、誕生日(1595)】です。

    小笠原貞慶(おがさわらさだよし)は戦国時代の武将。村上義清と並ぶ信濃の実力者で信濃守護を務める小笠原長時の三男に生まれる。

    小笠原氏は父長時の頃に甲斐国の武田晴信(信玄)が信濃侵攻を開始し、小笠原氏は小県郡の村上義清らと武田氏に対抗するが、小笠原氏は1548(天文17)年の塩尻峠の戦いにおいて敗退し、長時親子は信濃を逃れて同族の京都小笠原氏や三好氏を頼り京へ逃れている。京において長時親子は信濃復帰を望み運動しており、1561(永禄4)年に貞虎(貞慶)は長時とともに本山寺(現・大阪府高槻市)に対し旧領復帰の際には寺領寄進を約束している。

    その後、長時とともに信玄により駆逐された北信豪族を庇護した越後の上杉謙信のもとへ寄寓し、本山寺に対して祈願文書が発給された1561(永禄4)年には上杉氏と武田氏の間で川中島戦いが行われているが、1561(永禄4)年の第四次合戦を契機に北信を巡る争いは収束し、長時親子も旧領回復には至っていない。

    1579(天正7)年、父・長時から家督を相続する。長時は上杉謙信の死後に会津蘆名氏のもとに奇偶しているが、貞慶は織田信長に仕えて関東における諸大名への対武田交渉を担当している。1582(天正10)年に武田氏が滅亡すると、信長から信濃筑摩郡に所領を与えられた。同年6月、信長が本能寺の変のために死去すると、叔父・小笠原貞種が越後上杉氏の後援をうけて信濃に侵攻して深志城を奪還し、徳川家康の元にいた小笠原貞慶は嫡子・小笠原秀政を徳川家康の人質に差し出して、1583(天正11)年、家康から松本城を与えられ、大名として復帰を果たした。

    小牧・長久手の戦いでも徳川家康について羽柴秀吉と戦った小笠原貞慶だったが、1585(天正13)年、徳川の重臣・石川数正が豊臣秀吉の元へと出奔した際に秀吉に仕えることになった。が、さらにその後、秀吉と家康が和睦すると、秀吉の命により秀吉の直臣の身分で家康の家臣となった。

    1590(天正18)年、小田原の役で前田利家軍に従って軍功を挙げたため、秀吉から讃岐半国を与えられた。しかし、かつて秀吉の怒りに触れて追放された尾藤知宣を保護したため、秀吉の怒りを買って改易された。子・小笠原秀政が徳川家康の関東移封に伴って下総古河に所領3万石を与えられると、小笠原秀政に従って古河にうつり、1595(文禄4)年に同地で没した。

    画像は小笠原貞慶の居城、松本城(国宝)

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