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  • 5月11日、今日は【鵜飼い開き】

    更新 : 2011/5/11 22:02

    今日は【鵜飼い開き】です。

    毎年今日、岐阜県の長良川で「鵜飼い開き」が行われる。

    長良川河畔における鵜飼は、宮内庁式部職である鵜匠によって行われている。鵜匠は岐阜市長良に6人、関市小瀬に3人おり、これらは全て世襲制である。長良川の鵜飼では、1人の鵜匠が一度に12羽もの鵜を操りながら漁を行う。

    もともと長良川の鵜飼はその起源を1300年ほど前までさかのぼることができ、江戸時代においては徳川幕府および尾張家の庇護のもとに行われていた。明治維新後は一時有栖川宮御用となるも、1890(明治23)年に宮内省主猟寮属となり、長良川鵜飼は宮内省(現・宮内庁)の直轄となった。すなわち、御料鵜飼とは皇室御用の鵜飼いであり、狭義には毎年5月11日から10月15日まで行われる漁のうち特に宮内庁の御料場で行われる8回の漁を指す。御料鵜飼で獲れた鮎は皇居へ献上されるほか、明治神宮や伊勢神宮へも奉納される。

    鵜飼とは、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る漁法のひとつ。鵜飼の歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。

    平治の乱で源頼朝が義朝と敗走するとき、義朝とはぐれて長良川河畔をさまよい、鵜飼の長である白明の家にやどり、そこで食した鮎すしの美味に飢えをいやしたが、1192(建久3)年右大将として上洛するさい、白明の子をよびだして恩に報い、また毎年鮎すしを鎌倉に送るよう命じたとある。

    1564(永禄7)年、織田信長は長良川の鵜飼を見物し、鵜飼それぞれに鵜匠の名称をさずけ鷹匠と同様に遇し、1戸に禄米10俵あて給与した。

    明治維新で一時衰退したが、明治天皇の代にしばしば沙汰があり、大膳職に上納され、1890(明治23)年から稲葉郡長良村古津その他武儀郡、郡上郡の各村で延長1471間を宮内省の鮎漁の御猟場に編入された。

    鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、ウの食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができる。このため、鵜飼鮎は献上品として殊のほか珍重され、安土桃山時代以降は幕府および各地の大名によって鵜飼は保護されていった。鵜匠と漁場の確保は、大名達にとっても面子に関わることであったのである。その一方で、鵜飼は漁獲効率のよい漁法ではないため、明治維新後に大名等の後援を失った鵜飼は減少していき、現在は数えるまでにその規模を縮小している。

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