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5月12日、今日は【織田信長、誕生日(1534)】
更新 : 2011/5/12 23:22
今日は【織田信長、誕生日(1534(天文3)年旧暦5月12日)】です。
織田信長(おだのぶなが)とは、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。戦国時代における三英傑の1人。(ほか2名は豊臣秀吉、徳川家康)
尾張国(現・愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男で、幼少時に那古屋城主となる。急死した父の後を受けて家督を継ぎ、同母弟・織田信行(信勝)との家督争いを経て尾張国を統一した。以降、尾張国守護代の一家老に過ぎなかった織田家(弾正忠家)を卓越した手腕で全国最大勢力にまで押し上げる。
1560(永禄3)年、兵力的に優位にあった今川義元を桶狭間の戦いで破り、新興勢力として台頭。美濃国斎藤氏を滅ぼしてからは、将軍職に就任した足利義昭を擁立。義昭の権威のもと諸大名との外交・紛争を調停する天下の主催者としての役割を代行した。のち将軍義昭と反対勢力との抗争に至るが包囲網を撃破、1573(元亀4)年には将軍義昭を追放し、室町幕府は滅亡した。以後、天下人として統一事業(天下布武)を推し進め、領国内においては楽市楽座や検地など政策を用いた。天下統一を目前にして家臣明智光秀の謀反本能寺の変により志半ばにして横死した。
信長の死後、家臣の羽柴秀吉が織田政権を乗っ取り豊臣政権を樹立し、天下統一を達成。さらに豊臣政権は徳川家康によって解体され、江戸幕府が開かれた。信長は戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の1人であり、強力な中央政権の基礎を築いた点でも、日本史における近世移行期の創始者的存在と位置づけられている。
戦後、信長の政治面での事蹟が評価され、改革者としてのイメージが強まった。またルイス・フロイスが記した『日本史』の研究が進み、比叡山焼き討ちや自己を神とする行動や「(信長が)自ら手紙に第六天魔王と記した」という記述から「無神論者」、「破壊者」といったイメージが生まれ、1990年代には軍事・政治面で西洋に先駆けた発想が見られた事などが指摘され、そこから、信長がさらに存命すれば世界史的にも多大な影響があったのではないかという見方が生じ、その設定を利用したフィクション作品が数多く生まれている。
後の天下人である秀吉・家康が信長の臣下であったことからその影響は計り知れず、日本史上、極めて重要な人物である。秀吉も家康も、後継者にそれぞれ織田の血を引く者を当てており、死後もその影響力は大きかったようである。