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5月17日、今日は【ボッティチェッリ、忌日(1510)】
更新 : 2011/5/23 22:45
今日は【サンドロ・ボッティチェッリ、忌日(1510(永正7)年)】です。
サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)とは、ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ(Alessandro di Mariano Filipepi)といい、ボッティチェッリは兄が太っていたことからついた「小さな樽」という意味のあだ名である。
初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的画家。フィリッポ・リッピの元で学び、メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。
メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、ドメニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めた。そのためボッティチェッリも神秘主義的な宗教画を描くようになる。 ボッティチェリはサヴォナローラの反対派からの画の注文もよく受けており、こうした事実は彼がヴァザーリの記すよりはずっと自由な立場にいたようである。この時期以降の作品は生彩を欠くとして評価は高くない。1501(文亀元)年頃には制作を止める。
フィリッピーノ・リッピは彼に師事していた。ギリシャ文化に純粋に傾倒したと見られる「春」「ヴィーナスの上陸」を描いた。その結果、400年に亘り忘れ去られてしまい、やっと受け入れられるようになったのは19世紀末だった。それまでヨーロッパはボッティチェリを受け入れるだけの多様性の素地に欠けていたため、ボッティチェリの名はあまり知られることはなかった。19世紀イギリスのラファエル前派に注目されたことから名声が広まっているという経緯がある。
『プリマヴェーラ』と『ヴィーナス(ウェヌス)の誕生』の作者として著名である。異教的、官能的なテーマの絵画であり、フィレンツェ・ルネサンスの最盛期を告げるものである。
『プリマヴェーラ』は、近年の修復の結果、オリジナルの華麗な色彩がよみがえり、従来、煤(すす)に覆われてはっきり見えなかった多くの草花が、ヴィーナス(ウェヌス)の立つ地面に描き込まれているのが見えるようになった。研究者によると、これらの草花のほとんどは、今でもトスカーナ地方に自生しているという。