宿・ホテル予約 > 和歌山県 > 白浜・龍神 > 白浜・南部・田辺 > SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのブログ詳細

宿番号:348385

海と空に囲まれた絶景のリゾートへ・・【お得なクーポン配布中♪】

白浜温泉
阪和自動車道【終点】南紀田辺ICから車で約20分 JRきのくに線白浜駅・白浜空港よりタクシーで約10分

SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 5月21日、今日は【孫権、忌日(252)】

    更新 : 2011/5/27 21:07

    今日は【孫権、忌日(神鳳元)年)】です。

    孫権(そんけん)とは、字は仲謀(ちゅうぼう)、後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。呉を建国し初代皇帝に即位した。長命で帝位に昇る相があるとされ、三国時代の君主の中で最も長命した。魏の曹操、蜀の劉備とは父孫堅が同世代なのでおよそ1世代下にあたる。

    清代の『四庫全書』の記載によると、先祖は春秋時代の兵法家・孫武に遡るとされ、さらに浙江省杭州の富陽市南部に龍門古鎮という村があり、この村では9割の人の姓が「孫」で、孫権の末裔と自称している。この村の族譜では、革命家の客家の孫文も該当するという。

    孫権は、背は高いが胴長短足で、角張った「あご」と大きな口に紫髯(赤ひげ)の持ち主だったと云われる。また、小説『三国志演義』では碧眼(蒼い目)を持つとも描かれ、「碧眼児」と呼ばれる。父の孫堅も「仲謀は只者では無い、貴人の相をしている」と将来を期待したとされる。

    ろくに護衛もつけずに叛乱勢力が割拠する地域に駐在したり、虎狩を好むなど、ある種の無邪気さを見せることもあった。

    呉の礎を築いた父の孫堅、勇猛で恐れられた兄の孫策を相次いで亡くし、19歳で孫氏軍閥の当主となる。当主となった当初は、山越の反乱が活発になったり、廬江太守の李術が離反したり、弟の孫翊が側近に殺されたり、従兄弟の孫輔が曹操と内通したりと、政情不安定であったが、父や兄から引き継いだ家臣団をまとめあげると共に、積極的な人材登用を行い、政権を充実させた。また時勢を読んだ外交を始めとして思慮深さを見せる人物であったとされる。

    孫権は229(黄龍元)年の今日、呉王朝の初代皇帝に即位した。がその頃から徐々に彼の判断力・決断力に陰りが見え始めた。即位した翌年には兵1万を以て夷州と亶州の捜査を行わせた。人狩りが目的とされているが、一説には秦の始皇帝と同様に「不老不死の薬」を捜索させる事が真の目的だったともされる。

    後継者としていた長男の孫登が241(赤烏4)年に33歳で病没するといよいよ耄碌は悪化し、後継者問題で、多くの将軍や官僚が死に追いやられ、或いは追放された。252(神鳳元)年、危篤になると、諸葛恪・孫弘・孫峻・滕胤・呂拠らに後事を託し、4月16日、孫権は逝去し孫亮が皇帝となった。

宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。