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  • 5月28日、今日は【斎藤道三、忌日(1556)】

    更新 : 2011/5/29 2:17

    今日は【斎藤道三、忌日(1556(弘治2)年)】です。

    斎藤道三(さいとうどうさん)とは、戦国時代の武将。美濃(現・岐阜県南部)の戦国大名斎藤氏の初代当主。

    父は長井新左衛門尉(豊後守)。道三の名として、法蓮房・松波庄五郎(庄九郎)・西村正利(勘九郎)・長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、良質な史料に現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。また「秀龍」は、「龍」の字が息子たちの名前にも用いられていることからもこの諱を名乗っていたと考えられるが、その「秀」の字は六角義秀からの偏諱であるとされている。

    子に義龍、孫四郎(龍元、龍重)、喜平次(龍之、龍定)、利堯(利堯、玄蕃助)、長龍(利興、利治)、日饒(妙覚寺19世住職)、日覚(常在寺6世住職)。また、長井道利は弟とも、道三が若い頃の子であるともされる。娘に姉小路頼綱正室、帰蝶(織田信長正室)など。

    北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型であり、僧侶から油商人を経てついに戦国大名にまで成り上がった人物だとされる。道三は美濃の戦国領主として1554(天文23)年まで君臨した後、義龍へ家督を譲ったが、ほどなくして義龍と義絶し、1556(弘治2)年4月に長良川河畔で義龍軍に敗れ、討ち死にした。

    1554(天文23)年、利政は家督を子の斎藤義龍へ譲り、自らは常在寺で剃髪入道を遂げて道三と号し、鷺山城に隠居した。 しかし道三は義龍よりも、その弟である孫四郎や喜平次らを偏愛し、ついに義龍の廃嫡を考え始めたとされる。道三と義龍の不和は顕在化し、1555(弘治元)年に義龍は弟たちを殺害し、道三に対して挙兵する。

    国盗りの経緯から道三に味方しようとする旧土岐家家臣団はほとんどおらず、1556(翌弘治2)年4月、17500の兵を率いる義龍に対し、2500の兵の道三が長良川河畔で戦い(長良川の戦い)、娘婿の信長が援軍を派兵したものの間に合わずに衆寡敵せず、戦死した。享年63。

    戦死する直前、信長に対して美濃を譲り渡すという遺言書を末の子、斎藤利治に託して信長に渡した。道三は義龍を「無能」と評したが、長良川の戦いにおける義龍の采配を見て、その評価を改め、後悔したという。道三の首は、義龍側についた旧臣の手で道三塚に手厚く葬られた。なお、首を討たれた際、鼻も削がれたという。

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