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  • 5月29日、今日は【正木時茂、忌日(1561)】

    更新 : 2011/5/30 0:23

    今日は【正木時茂、忌日(1561(永禄4)年)】です。

    正木時茂(まさきときしげ)とは、里見氏の家臣。正木時綱の子。時忠は時茂の弟。実子に信茂、里見義頼室。養子に憲時(時忠の子)、正木頼房。通称を弥九郎、官名を大膳亮を称す。

    1533(天文2)年、里見氏内部で内紛である稲村の変が発生し、父・時綱と兄が戦死したため家督を相続した。里見義堯に寄騎として属し、1534(天文3)年の里見義豊討伐に参加。1538(天文7)年の第一次国府台合戦にも参陣。上総武田氏の勢力が衰退すると東上総に進出し1542(天文11)年には勝浦城を攻めてこれを奪っている。1544(天文13)年には真里谷朝信を討ち、その所領である小田喜城を奪って居城とした。その後、1561(永禄4)年初頭の上杉輝虎(謙信)の関東出陣に際しては、義堯の嫡男・里見義弘に従って嫡男の信茂とともに参陣している。

    朝倉宗滴著の宗滴夜話・宗滴話記に優秀な武将として正木大膳の名が挙げられている。

    時茂は槍術に優れており、その恐るべき武勇から「槍大膳」と称された。このような逸話が残っている。

    時茂が12歳ほどの時である、乗馬の訓練を受けた時、彼は手綱を片手で持って乗る事を好んだ。

    これに馬の師匠は怒りだし、
    「片手綱とは馬をよくよく乗り覚え、巧者と呼ばれてからはじめてやる様な乗り方です。あなたは未だ、初歩の訓練すら終わっていないのに、そのような乗り方をすればそれは馬上の姿勢も悪くなります。とにかく先ずは両手できちんと手綱を取って乗りなさい!」

    それを聞いた時茂少年、
    「わたしは将来、一軍を任されるほどの侍大将となることを目指しています。大将であれば、馬から下りて敵に向かっていき、槍をあわす機会はほとんどありません。大将として馬上において下知をし、また敵と戦うためには、片手綱の達者になっておくべきではないでしょうか?」

    そう言って、ついに師匠の言う事を聞くことは無かった。

    さて、時は流れ、里見義弘と北条氏康の戦った、鵠台の合戦が起こる。

    この合戦において里見は敗北したが、正木時茂はしんがりの軍の大将として、北条方の名のあるものを、片手綱で馬上より21人斬りおとし、その猛威をみせつけ、静かに撤退したといわれる。

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