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5月29日、今日は【千葉胤富、忌日(1579)】
更新 : 2011/5/30 16:24
今日は【千葉胤富、忌日(1579(天正7)年)】です。
千葉胤富(ちばたねとみ)とは、本姓は平氏。千葉氏の第二十七代当主。千葉昌胤の次男。千葉利胤の弟。千葉良胤、千葉邦胤の父。外交手腕に秀でた。
初めは東総領主・千葉六党東氏一族海上氏を継いだが、1557(弘治3)年に甥の千葉親胤(利胤の子)が家臣の手により殺害されたため、千葉宗家家督を継いだ。
1560(永禄3)年、越後の上杉謙信が古河公方の足利義氏を攻めたとき、北条氏康の要請を受けて援軍を送った。1561(永禄4)年には里見氏の家臣・正木信茂の侵攻を受けて、臼井城や小弓城を奪われる。同年、上杉謙信が小田原城を十一万の大軍を率いて攻めたときは、後北条氏に援軍を派遣した。しかしその後和議を行い、謙信の関東管領就任式(鶴岡八幡宮)に参列。小山高朝と諸将の首位の座を争い、謙信の仲裁によって胤富が首座となった。
1562(永禄5)年、北条氏の支援を受けて正木氏に奪われた臼井城や小弓城を奪還する。臼井城合戦では上杉謙信を撃退。その後は里見氏との交戦が続き、1571(元亀2)年には里見義弘と小弓城で戦っていた。1579(天正7)年に死去した。
胤富は後北条氏との関係を深めることで上杉謙信、結城氏や里見氏などの侵攻を撃退。千葉常胤以来の千葉宗家の誇りを守った勇将と讃えられる。