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6月3日、今日は【細川幽斎、誕生日(1534)】
更新 : 2011/6/3 21:46
今日は【細川幽斎、誕生日(1534(天文3)年】です。
細川藤孝(ほそかわふじたか)とは、戦国時代の武将、歌人。号は幽斎玄旨。一般に細川幽斎(ほそかわゆうさい)として知られる。また一時期、領地の長岡を名字としていたことから長岡藤孝(ながおかふじたか)ともいった。
足利将軍家の連枝三淵氏の生まれ。奉公衆三淵晴員の次男で、母は儒学・国学者清原宣賢の娘・智慶院。晴員の実兄の和泉半国守護・細川元常の養子となった。父晴員は室町幕府奉公衆の三渕晴経の養子となった。
初め13代将軍足利義輝に仕え、その死後は15代将軍足利義昭の擁立に尽力するが、後に織田信長に従い丹後宮津11万石の大名となる。後に豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世細川氏の祖となった。また藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。
幽斎は、剣術等の武芸百般、和歌、茶道、連歌、蹴鞠等の文芸を修め、さらには囲碁・料理・猿楽などの造詣にも深く、当代随一の教養人でもあった。剣術は塚原卜伝に学び、波々伯部貞弘、吉田雪荷から弓術の印可を、弓馬故実(武田流)を武田信豊から相伝されるなど武芸にも高い素質を示した。膂力も強く、京都の路上で突進してきた牛の角をつかみ投げ倒したという逸話もある。また、息子・忠興と共に遊泳術にも優れたという。
三条西実枝に古今伝授を受け、その子・三条西公国と、さらにその子・三条西実条に返し伝授するまでの間、二条派正統を一時期継承した。当時唯一の古今伝授の伝承者であり、関ヶ原の戦いの際、後陽成天皇が勅命により幽斎を助けたのも古今伝授が途絶える事を恐れたためだといわれる。
門人には後陽成天皇の弟宮・八条宮智仁親王、公家の中院通勝、烏丸光広などがおり、また松永貞徳、木下長嘯子らも幽斎の指導を受けた。島津義久は幽斎から直接古今伝授を受けようとした一人であり、幽斎が義昭に仕えていた頃から交流があった。
なお八条宮が幽斎から古今伝授を受けた「古今伝授の間」は、幽斎の孫で熊本藩主となった細川忠利が造営した水前寺成趣園(熊本市)に大正時代に移築され、、2010(平成22)年には熊本で幽斎没後四百年祭が開催された。また翌2011(平成23)年には水前寺成趣園内に銅像が建てられている。