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  • 6月4日、今日は【蒸しパンの日】

    更新 : 2011/6/5 0:46

    今日は【蒸しパンの日】です。

    由来は、「蒸しパン(む[6]し[4]ぱん)」の語呂合わせから、こどもたちにも食べやすい蒸しパンを、朝食やおやつなどにもっと食べてもらおうと「チーズ蒸しパン」で知られる北海道札幌市の日糧製パン株式会社が制定した日。

    蒸しパン(むしぱん)とは、菓子の一種。小麦粉に重曹やベーキングパウダー、砂糖等を混ぜ、捏ねてから成形し、蒸し器で蒸したもの。特に果物などをのせたものは蒸しケーキとも呼ばれる。

    蒸しパン、あるいはパンの起源は明確に解明されていないが、原料であるコムギが栽培され、小麦粉に加工され始めた時期に匹敵すると考えられている。水と小麦粉で捏ねた生地を醗酵させず、ただ焼いただけのものは約1万年前からメソポタミアやエジプトで食べられていた。やがて偶然から、こねた生地に酵母を作用させて焼くと食味が増すことが発見される。エジプトで創造されたパン作りの技術は、地中海の沿岸からヨーロッパ北部へと広まっていった。

    日本に饅頭が伝来したのは、室町時代とされている。安土桃山時代には南蛮人によって、西洋式のパンの作り方が伝えられた。しかし江戸時代に入ると鎖国政策やキリスト教の禁止などでパン製造はすたれ、長崎の出島で暮らすオランダ人のために細々と作られるのみだった。当時の日本人の口には、パン独特の酵母菌による醗酵臭が合わなかった事や、聖体としてキリスト教の儀式と密着していたパンは、キリスト教を厭う世相から製造が忌避されたといわれている。

    鎖国が解かれた後の明治時代にパンの製法が一般的に確立され、マントウや饅頭に近いパンは一掃された。一方、膨張剤となる重曹の入手が手軽になり、これを使って醗酵の手間を省き、日本に古くからある調理器「蒸篭」にかけて作ることができる蒸しパンは、子どものおやつや米にかわる代用食としても食されるようになる。大正時代の米騒動の頃に玄米パンと呼ばれる玄米の蒸しパンが誕生した。

    第二次世界大戦後はGHQの支給された小麦粉を使用し、ベーキングパウダーと混ぜて捏ねたものを電熱器または、文化鍋で調理し、代用食にしたり、砂糖が貴重だったため、さつまいもや栗を混ぜておやつとしても食されていた。

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