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  • 7月9日、今日は【在原業平、忌日(880)】

    更新 : 2011/7/9 23:34

    今日は【在原業平、忌日(880(元慶4)年)】です。

    在原業平(ありわら の なりひら)とは、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。三品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。また『伊勢物語』の主人公とみなされている。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。

    父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば天皇家の嫡流ともいえるが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、826(天長3)年臣籍降下して兄・行平らとともに在原氏を名乗る。

    仁明天皇の蔵人となり、849(嘉祥2)年、従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。清和天皇のもとで再び昇進し、862(貞観4)年、従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、873(貞観15)年には従四位下に昇叙される。陽成朝でも順調に昇進し、877(元慶元)年従四位上、879(元慶3)年には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。880(元慶4)年5月28日卒去。享年56。最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。

    業平は『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、美男の代名詞のようにいわれる。早くから『伊勢物語』の主人公の、いわゆる「昔男」と同一視されている。ちなみに『伊勢物語』では、清和天皇女御でのち皇太后となった二条后(藤原高子)や、惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王などとの禁忌の恋が語られている。なお、恬子内親王との間には密通によって高階茂範の養子・師尚が生まれたという説があり、以後高階氏は業平の子孫ではないかと噂された。

    歌人としては『古今和歌集』の30首を始め、勅撰和歌集に87首が入集している。子の棟梁・滋春、棟梁の子・元方はみな歌人として知られる。鷹狩に執着した桓武天皇の子孫だけあり、兄・行平ともども鷹狩の名手であったと伝えられる。一方で、学才はほとんど無かったともされる。紀有常女(惟喬親王の従姉にあたる)を妻とし、紀氏と交流があった。

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