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9月8日今日は【サンフランシスコ平和条約調印記念日】
更新 : 2011/9/8 20:49
今日は【サンフランシスコ平和条約調印記念日】です。
由来は、1951(昭和26)年の今日、サンフランシスコで対日講和会議が開かれ、その最終日であるこの日、日本と連合国の間で「日本との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」と「日米安全保証条約」が調印された。日本を含めて59か国が調印したが、ソ連等3か国が調印を拒否し、中国は最初から招待されなかった。この時の日本の全権大使は吉田茂首相だった。
この条約の後文には「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の5カ国語のうちソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるためである。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む4カ国語のものである。
1951(昭和26)年9月8日に全権委員によって署名され、その後、11月18日に国会がこれを承認、翌年の1952(昭和27)年4月28日に発効した。日本国内では、「昭和27年4月28日条約第5号」として、天皇により公布された。
この条約によって正式に、連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した(第1条((b))。なお、第1条(a)にあるように国際法上ではこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ、ポツダム宣言の受諾を表明した1945(昭和20)年8月14日や国民向けラジオ放送を実施した8月15日、降伏文書に署名した1945(昭和20)年9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。