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9月8日、今日は【スプリーウェル、誕生日(1970)】
更新 : 2011/9/8 23:40
今日は【ラトレル・スプリーウェル、誕生日(1970(昭和45)年)】です。
ラトレル・スプリーウェル(Latrell Fontaine Sprewell)とは、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。北米のプロバスケットボールリーグNBAのゴールデンステート・ウォリアーズ、ニューヨーク・ニックス、ミネソタ・ティンバーウルブズでプレイした。豪快なダンクシュートを持ちジャンプシュートもうまいシューティングガード。オールスター戦には4度出場。高い運動能力と強気で動じない性格を備え、全盛期にはチームの得点源として活躍したが、1998(平成10)年に起こした監督への暴行事件がキャリア全般に影を落としている。
スプリーウェルは高校4年生の時からバスケットボールを始める。アラバマ大を経て、1992(平成4)年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズに全体24位で指名された。しかし、当時は名前の読み方も知られていないほどの無名選手で、スプリーウェルを指名したドン・ネルソンゼネラルマネージャーを疑問視したり、嘲笑う人間が多かった。
スプリーウェルは1年目からチームで首位の出場時間を得て、平均得点15.4点でオールルーキーセカンドチーム入りを果たし周囲を驚かせる。2年目のシーズン総出場時間は3,533分でリーグ1位。スプリーウェルはこのシーズン平均得点21点をあげ、オールNBAファーストチームとオールNBAディフェンシブセカンドチーム入賞を同時に果たす快挙を成し遂げる。
1998-99シーズンから移籍したニューヨーク・ニックスでは、NBA史上初となる8位シードのチームがNBAファイナルに進むという快挙の原動力となる。
新人時代から優れたスピードと跳躍力、運動量を生かし、ファストブレイクでの強力な得点源という位置であった。当時ラン&ガンをチームオフェンスの柱としていていたウォリアーズにはもってこいのタイプであり、独りオールスターに出場するなどエースと呼べる存在まで台頭した。特にファストブレイクでトップスピードで走り回り、両手でのアリウープのフィニッシュは彼のトレードマークであった。また身体能力や反射能力の高さを生かしディフェンス面でもスティールが多い選手だった。
速攻を得意とする野性的なプレイをする選手であり、爆発した時にはチームの雰囲気自体を変えてしまう起爆剤のようなところがあった。