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  • 9月26日、今日は【浅井長政、忌日(1573)】

    更新 : 2011/9/26 20:33

    今日は【浅井長政、忌日(1573(天正元)年)】です。

    浅井長政(あざいながまさ)とは、戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、のちに信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。官位は贈従二位中納言(徳川家光の外祖父にあたるため、死後の1632(寛永9)年に贈られた)。

    浅井氏は始祖を正親町三条公綱(公家の嵯峨家)の落胤とする家系伝承を持ち本姓を藤原氏と称するが、江北に古くから土着している豪族に浅井氏があり平安時代や鎌倉時代の記録に既に名が見える、古来の浅井氏に公家の子息が入り婿したとも伝えられる。室町時代には守護・京極氏に従う国人領主の一つとして頭角を表す。やがて梟雄・亮政が越前・朝倉氏の後援によって国人一揆の盟主格であった浅見氏を倒し、江北第一の勢力として台頭するに至った。

    1560年代、織田信長は美濃国斎藤氏との膠着状態を打破するため不破光治を使者として送り、長政に同盟を提案した。同盟の際、長政は1568(永禄11)年頃に信長の妹の市を妻とした。

    信長は浅井との同盟により上洛経路を確保し、美濃国攻略の足掛かりとした。信長は同盟成立を大いに喜び、信長自身が婚姻の費用を全額負担したとされる。

    1570(元亀元)年、信長が長政と交わした「朝倉への不戦の誓い」を破り徳川家康と共に琵琶湖西岸を通過して越前国の朝倉方の城を攻め始める。長政は義景との同盟関係を重視し、織田徳川軍を背後から急襲。信長は殿を務めた羽柴秀吉らの働きにより、命からがら近江を脱出した(金ヶ崎の退き口)。

    1573(天正元)年7月、信長は3万の軍を率い再び北近江に攻め寄せる。長政は義景に援軍を要請、義景は2万の軍で駆けつけるが織田の軍勢が北近江の城を即座に落とし、逃げる朝倉軍を追撃し滅亡させた後(一乗谷城の戦い)、軍を浅井氏に向けた。

    市が信長の陣営に帰還したのち、同年9月1日(旧暦)、父の久政と共に自害。享年29。墓所は滋賀県長浜市の徳勝寺。

    一級史料と評される信長公記には1574(天正2)年の正月、内輪の宴席において薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にした義景・久政・長政の首級を御肴として白木の台に据え置き、皆で謡い遊び酒宴を催したとある。だが信長は酒を飲まなかったので後世の作り話と考えられる。

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