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  • 9月28日、今日は【プライバシーデー】

    更新 : 2011/9/28 13:19

    今日は【プライバシーデー】です。

    由来は、1964(昭和35)年の今日、三島由紀夫の小説『宴のあと』でプライバシーを侵害されたとして有田八郎元外務大臣が作者と発行元の新潮社を訴えていた裁判で、東京地裁がプライバシー侵害を認め、三島由紀夫に損害賠償を命じる判決を出した。日本でプライバシーが争点となった初めての裁判だった。


    『宴のあと』裁判とは、1960(昭和35)年11月に新潮社より刊行された三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐり、日本で最初のプライバシー侵害裁判。三島由紀夫は日本で最初のプライバシー侵害裁判の被告になる。

    1961(昭和36)年3月15日、元外務大臣・東京都知事候補の有田八郎は、三島の『宴のあと』という小説が自分のプライバシーを侵すものであるとして、三島と出版社である新潮社を相手取り、慰謝料と謝罪広告を求める訴えを東京地方裁判所で起した。裁判は、「表現の自由」と「私生活をみだりに明かされない権利」という論点で進められたが、1964(昭和39)年9月28日に東京地方裁判所で判決が出て、三島側は80万円の損害賠償の支払いを命じられた。この後、1965(昭和40)年に有田が死去したため、有田の遺族と三島との間に和解が成立した。

    当初、この件で三島は友人である吉田健一(父親の吉田茂が外務省時代に有田の同僚であった)に仲介を依頼したものの上手くいかず、この事が後に三島と吉田が絶交に至る機縁になったといわれている。


    小説『宴のあと』とは、プライバシー裁判であまりにも有名になりながら、その芸術的価値については海外で最初に認められた小説。都知事候補野口雄賢と彼を支えた女性福沢かづの恋愛と政治の葛藤を描くことにより、一つの宴が終ったことの漠たる巨大な空白を象徴的に表現する。著者にとって、社会的現実を直接文学化した最初の試みであり、日本の非政治的風土を正確に観察した完成度の高い作品である。

    1963(昭和38)年 ドナルド・キーンの英訳("After the banquet")によって海外にも紹介されている。

    画像は、「ノートパソコン用のぞき見防止ウェア」とのこと。

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