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10月11日、今日は【「リンゴの唄」の日】
更新 : 2011/10/11 17:46
今日は【「リンゴの唄」の日】です。
由来は、1945(昭和20)年の今日、戦後初めて制作・公開された映画『そよかぜ』が封切られ、並木路子が歌う挿入歌「リンゴの唄」は戦後を象徴する大ヒットとなったことから。
「リンゴの唄」(りんごのうた)とは、第二次世界大戦敗戦後の日本で戦後映画の第1号『そよかぜ』(1945(昭和20)年10月10日公開、松竹大船)の挿入歌として発表され、日本の戦後のヒット曲第1号となった楽曲。歌詞は日本語。作詞はサトウハチロー。作曲は万城目正。歌唱は並木路子、霧島昇。並木は映画『そよかぜ』の主演であり、霧島昇も『そよかぜ』に出演している。
サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦によって憔悴しきった国民の心を癒される楽曲と評価され、空前の大ヒットとなった。2007(平成19)年には日本の歌百選に選出されている。
「リンゴの唄」吹き込みの際、作曲者の万城目正は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。
映画が封切りされてからレコード吹き込みまでに「そよかぜ」と「リンゴの唄」は再三ラジオで放送されていた。当時、出演する歌手は歌う曲の譜面を放送局に持っていったが、出演者の一人であった霧島昇はその際必ず「リンゴの唄」の譜面を持って行っていた。「リンゴの唄」のヒットを予感していた霧島は、万城目に直談判し、この曲でデビューが決まっていた並木路子と共に歌わせて欲しいとの要請をしたため、急遽「リンゴの唄」は並木とのデュエットという形になった。
この当時まだリンゴは貴重品であり、1945年12月に行われた公開ラジオ番組において並木がこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ、会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったというエピソードもある。