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10月15日、今日は【D・トレゼゲ、誕生日(1977)】
更新 : 2011/10/16 1:58
今日は【ダヴィド・トレゼゲ、誕生日(1977(昭和52)年)】です。
ダヴィド・トレゼゲ(David Trézéguet)とは、フランス共和国ルーアン出身のサッカー選手。UAEリーグのバンニ・ヤス所属。元フランス代表。出生地はフランスだが両親は共にアルゼンチン人で、2歳の時にアルゼンチンに移住。フランスとアルゼンチンの国籍を所有している。
両足から放たれるシュートは威力に溢れ、驚異的なジャンプ力を活かし叩き付けるようなヘディングシュートを披露する。豪快ながらも繊細な技術に裏打ちされた安定したプレーを展開する。元サッカー選手のホルヘを父に持ち、1993(平成5)年にアルゼンチンのプラテンセでプロデビュー。アルゼンチンでは2年間で僅か5試合に出場したのみで、1995(平成7)年にフランスのモナコに移籍。モナコでも当初の2シーズンは僅かな試合に出場するにとどまり苦しい時期を過ごすが、1997/98シーズンには27試合に出場し18得点を記録。1999/00シーズンには22得点を挙げクラブをリーグ優勝に導いた。
2000(平成12)年に移籍したユベントスでは、最初のシーズンこそ適応に苦しんだものの、2001/02シーズンには24得点を挙げセリエA得点王に輝きスクデット獲得に大きく貢献。セリエA2001/02シーズン最優秀選手にも選出され、世界屈指のFWの座を不動のものとした。
代表デビューは20歳、1998(平成10)年1月28日に行われたスペイン代表戦。同年に行われたフランスW杯のメンバー入りも果たし、見事優勝を飾る。 2年後のEURO2000では控えの立場だったが、イタリアとの決勝戦の延長でゴールデンゴールを決め優勝に導いた。この活躍が認められ、大会後にユヴェントスと契約を結んでいる。
しかしその後の代表歴は思わしいものではない。セリエA得点王として臨んだ日韓W杯ではセネガル戦ではシュートがバー直撃、そしてEURO2004にはクロアチア戦において疑惑のゴールを決めたものの、ブレイクすることはなかった。
自身3度目となるドイツW杯では、1トップを布くドメネク監督の戦術方針からベンチに座る機会も多く、決勝のPK戦ではPKを失敗する等、失意のうちに大会は終了した。
代表ゴール数34は歴代3位(2008(平成20)年7月現在)だが、W杯後は招集すらされないことが多く、EURO2008のメンバーからも落選した。2008(平成20)年7月9日、ドメネク監督の続投を受けて代表引退を発表している。