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10月16日今日は【阪神タイガースがリーグ優勝(1985)】
更新 : 2011/10/17 23:04
今日は【阪神タイガースが21年ぶりにセントラル・リーグで優勝(1985(昭和60)年)】です。
1985(昭和60)年、吉田義男が2度目の監督に就任。吉田はチームの潜在力は認めたが、今すぐに優勝争いができるとは考えておらず、初年度は基盤固めを目指す方針であった。チームスローガンは「フレッシュ、ファイト、フォア・ザ・チーム」の頭文字から取った「3F野球」とした。
ところが、1番・真弓、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線(第2次ダイナマイト打線)が大活躍し、特に4月17日の対巨人戦(甲子園球場)ではクリーンナップトリオがバックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。
夏場まで首位を快走していたが、8月12日に発生した日航機墜落事故で、当時の球団社長だった中埜肇が急逝するという不幸に見舞われた。訃報を受けた吉田はショックを受け、選手全員とユニホーム姿で霊前に優勝を誓った。この年は、強力打線に加えて中西清起、福間納、山本和行らのリリーフ投手陣も大車輪の活躍をみせ、10月16日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮)を接戦の末に引き分けに持ち込み、21年ぶりのリーグ優勝を果たした。11月2日には対西武戦で悲願の日本一を達成した。MVPとなったバースは、翌年も三冠王を獲得した。
この年は最終的に219本塁打を記録し、2004(平成16)年に巨人に破られるまでセ・リーグ記録だった。特に阪神初の三冠王に輝いたバースは本塁打が54本と、巨人の王のシーズン最多本塁打記録に迫る活躍をしたが、シーズンの最終2戦で、記録保持者の王が監督として率いる巨人に敬遠攻めをされ、記録更新を阻まれた。翌日のスポーツ報知は、“バース、記録達成失敗”との記事を載せ、「自分は敬遠するよう指示しなかった」という王監督のコメントも掲載された。ただ、元巨人のカムストック投手が、米国に帰国後、試合前に巨人の全ピッチャーに「バースにストライクを1球投げるごとに罰金100万円」という脅しが出ていたという。当時、巨人の親会社である読売新聞社には阪神ファンからの抗議が殺到した。
セ・リーグ新記録となる219本塁打などの猛打が注目される中、犠打も当時のセ・リーグ新記録、完投能力を持つ選手の少ない投手陣は細かな継投を駆使するなど、このシーズンは豪快さと手堅さを併せ持った吉田采配であった。シーズン終了後に、阪神を優勝に導いた功績により吉田は正力松太郎賞を受賞している。