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  • 10月27日、今日は【仏壇の日】

    更新 : 2011/10/27 20:38

    毎月27日は【仏壇の日】です。

    由来は、685(天武天皇14)年3月27日、「各家に仏像・経を置いて礼拝供養せよ」という天武天皇の詔が出されたことから、3月27日のみだったものが毎月に拡大された。全日本宗教用具協同組合が制定。

    仏壇(ぶつだん)とは、一般家屋の中に常設された、仏を祀る厨子であり、家族の死者を祭る、祭壇でもある。内部は仏教各宗派の本山寺院の仏堂を模した豪華な作りになっており、仏像や位牌を納める。

    仏壇の起源については「持仏堂(じぶつどう)→仏壇説」と「魂棚(たまだな)→仏壇説」の2説ある。古代インドでは、土を積み上げて「壇」を作り、そこを神聖な場所として「神」を祀っていた。やがて風雨をしのぐために土壇の上に屋根が設けられた。これが寺院の原型である。それを受け継ぎ仏壇の「壇」は土偏である。玉虫厨子は現在に伝わる最古の仏壇と言われる。

    「持仏堂→仏壇説」とは、貴族などの上流階級においては、持仏堂を持つものもあった。藤原頼通の平等院鳳凰堂や足利義満の鹿苑寺などがある。また『更級日記』の作者、菅原孝標女が薬師仏を等身に造って屋敷内で祀ったというのも仏壇の源流である。竹田聴洲によると、上記のような持仏堂が縮小・矮小化し屋内に取り込まれることによって仏間を経て仏壇に変化したとしている。

    室町時代、浄土真宗中興の祖である本願寺八世・蓮如が布教の際に「南无阿弥陀仏」と書いた掛軸を信徒に授け、仏壇に祀ることを奨励した。仏壇を作る際に本山を真似たところから、現在の金仏壇の元となる。それゆえ、浄土真宗では仏壇に対しての決まりごとが多い。なお、現在でも浄土真宗において、仏壇の本尊は掛軸であり、菩提寺を通して本山から取り寄せたものとされる。

    なお、仏壇は日本独自のもので、仏教国であるタイなどでも見られない。それは寺院が生活の身近にあり、家の中に改めて小さな寺を作る必要がないからであり、供養壇としての流れが加わっているためでもある。

    「魂棚→仏壇説」とは、盆に先祖や新仏の霊を迎える祭壇のことを魂棚といい、形状は地域・時代によって様々であるが、四隅に竹や木で四本柱を建て板を渡したものや茶卓を使用する場合もあり、柳田國男はこの魂棚が盆のみの設置から常設化され仏壇になったとしている。

    現在、仏壇の起源については竹田のいう「持仏堂→仏壇説」の方が有力視されている。

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