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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
10月29日、今日は【とらふぐの日】
更新 : 2011/10/31 12:35
今日は【とらふぐの日】です。
由来は、「と[10]らふ[2]ぐ[9]」の語呂合せ。
とらふぐ(虎河豚)とは、フグ目フグ科に属する魚類。分布は、太平洋北西部、日本海西部、黄海、東シナ海など。北海道室蘭付近が北限。湾内などに多く、成長するまでは河口の汽水域にもいる。体長70cm程度になる。産卵は春。
食用として取引されるフグの中では最も高級とされる。他のフグ類同様、フグ毒(神経毒:テトロドトキシン)を含むため、調理には免許が必要とされる。特に毒性が強いのが肝臓と卵巣であるが、石川県では1年以上も卵巣を塩漬けにしたうえ更に糠に漬け込んで毒を抜いて珍味「河豚の卵巣の糠漬け」として食用に供している。養殖もされる。近年では、毒をもたないトラフグの養殖がされるようになり、今後の動向が注目される。
日本では弥生時代からふぐを「ふくべ」と呼び、大変馴染みの深い大衆料理として食べてきた。豊臣時代、豊臣の家臣に多くの中毒者が出てふぐを食することから厳重な禁止命令が発令される。
江戸時代に入ると人々は危険な食べ物にも興味が湧き、当たれば死ぬを(鉄砲に当たれば)鉄砲の劇鉄は(てつ)と呼ぶので、多くがさしを「てっさ」、鍋を「てっちり」と言う説が生まれる。
四代将軍徳川家綱時代には庶民には隠れた「ふくとう汁」と「てつ」が人気を呼び、表に出ることなく美味しい魚として粋な遊び心を囃し立てながら、元祖二八そば、天ぷらと同時にふぐ料理の文化も今日に引き継がれている。五代将軍綱吉時代、食文化が進み、かの有名な忠臣蔵の大石内蔵助も好んで食したと言い伝えられる。八代将軍吉宗時代には江戸市中に寿司、天ぷら、イノシシ、ふぐなどの専門的な料理が確立し始めたが、ふぐ中毒患者が多発し十代将軍家治時代には再度ふぐの販売に警告が発令される。十一代将軍家斎時代にはミツカンぽん酢が出現し、にぎり寿司とともにふぐ料理も研究され、危険な魚から安全に近い料理方法が考案され始める。
トラフグの遺伝子にはジャンクDNA配列が非常に少なく、ゲノムサイズは 3.5-4 億塩基対と脊椎動物では最も小さい(ヒトゲノムは30億塩基対)が、遺伝子の数はヒトとほぼ同じであると考えられる。つまり遺伝子密度が高い生物といえる。線虫をモデル生物として有名にしたシドニー・ブレナーは、フグゲノムプロジェクトを立ち上げ、トラフグは生物学において一躍有名になった。