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10月31日、今日は【R・フェニックス、忌日(1993)】
更新 : 2011/10/31 22:46
今日は【リバー・フェニックス、忌日(1993(平成5)年)】です。
リヴァー・ジュード・フェニックス(River Jude Phoenix)とは、1970(昭和45)年8月23日、カトリック教徒で大工の父とハンガリー系=ロシア系正統派ユダヤ教徒の母との間に、5人の子のうちの長男として、アメリカ合衆国オレゴン州マドラスの地にリヴァー・ジュード・ボトム(River Jude Bottom)という名で誕生した。ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』で出て来る「川」がリヴァーという名の由来。
両親が宗教団体「神の子供たち」(現在のファミリー・インターナショナル)の活動家だったことで、幼少の頃は南アメリカの各地を転々とする生活で、5歳のときにはベネズエラのカラカスで妹とともに舞台に立って歌うなどということもあった。
1977(昭和52)年に帰国、カリフォルニア州のロサンゼルスに移る。灰から甦るフェニックスのように、自分たちの新しい人生への再生の意味を込め、家族で姓をフェニックス(Phoenix)に改名。
母がNBC(National Broadcasting Company・アメリカ合衆国の三大ネットワークのひとつ)の職に就いたことで10歳にして初めてテレビに出演。1985(昭和60)年、『エクスプロラーズ』で映画俳優としてのデビュー。翌1986(昭和61)年には青春映画・『スタンド・バイ・ミー』への出演で注目を集める。
1988(昭和63)年出演の『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネート、1991(平成3)年配給の『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の主演男優賞を受賞。
1993(平成5)年、ジョニー・デップ所有のウエストハリウッドのナイトクラブ・ヴァイパー・ルームの入口付近で、ヘロインとコカインの過剰摂取を原因として心不全を引き起こし死亡したといわれる。その最期はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト・フリーに看取られた。享年23歳。
出演予定だった『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のインタビュアー役は代わってクリスチャン・スレーターが演じる事となった。
遺体はフロリダ州で火葬され、遺灰は故郷のフロリダで空中散布された。そのため墓所がなく、薬物中毒で倒れたヴァイパー・ルームの店先には今も世界各地からファンが巡礼に訪れる。