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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
11月3日、今日は【みかんの日】
更新 : 2011/11/3 13:56
今日は【みかんの日】です。
由来は、「いい[11]みか[3日=みっか]ん」の語呂合わせで、全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が12月3日の2日間を制定している。
みかん(蜜柑)とは、柑橘類(かんきつるい)の総称として使われ、特にウンシュウミカン(温州蜜柑)のことをいうことが多い。
ウンシュウミカン(温州蜜柑)とは、ミカン科の常緑低木。またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。日本の代表的な果物で、バナナのように、素手で容易に果皮をむいて食べることができるため、冬になれば炬燵の上にミカンという光景が一般家庭に多く見られる。甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは「みっかん」と読まれたが、最初の音節が短くなった。「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった中国浙江省の温州のことであるが、イメージから名産地にあやかって付けられたもので関係はないとされる。
ミカンとして最初に日本に広まったのはキシュウミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現・熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが15-16世紀ごろ紀州有田(現・和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得たことでも有名である。また江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したとき、紀州からキシュウミカン(ホンミカン)が献上され、家康が植えたこの木が静岡地方のみかんの起源とされている。
ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」「唐蜜柑」等と呼ばれていたが、種子を生じない性質から武士の世にあっては縁起が悪いとされ、ほとんど栽培されることはなかった。しかし江戸時代後期よりその美味と種なしの利便性から栽培が行われるようになり、1894(明治27)年頃から生産を増やして徐々にキシュウミカンに取って代わるようになった。「温州蜜柑」との呼称が一般的になったのもこの頃である。
和歌山県のみかんブランドでは、有田みかんが全国的に有名だが、県内では「ジョインジュース」と呼ばれるものも名が知られている。これはJA和歌山県連の商品で、農協関連施設などで売られている。