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11月9日、今日は【A・デル・ピエロ、誕生日(1974)】
更新 : 2011/11/10 14:56
今日は【アレッサンドロ・デル・ピエロ、誕生日(1974(昭和49)年)】です。
アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero)とは、イタリア、トレヴィーゾ県コネリアーノ出身のサッカー選手。ポジションはFW。セリエAのユヴェントスに所属しており、キャプテンを務める。その繊細で芸術的なプレーはしばしばピントゥリッキオに喩えられ称賛される。
サッカー界のご意見番でカルチョには特に痛烈な批判をするヨハン・クライフもデル・ピエロに対しては「私はどんなイタリアのプレイヤーよりもデル・ピエロを好む。彼のプレーはとてもファンタスティックだ。ただ強いて言うなら彼はイタリアに生まれるべきではなかった。イタリアサッカーは彼がそのプレースタイルのままでいようとすることを許さないだろう。」と賛辞を送ると共に彼のプレースタイルをもっと生かせる国に生まれていたら、というコメントをしている。ゴール前左45度からのシュートを得意としており、このエリアは「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれている。
イタリア代表デビューは1995(平成7)年3月25日のエストニア戦。イタリア代表通算27得点はバッジョと並んで歴代4位タイ。FIFAワールドカップには1998(平成10)、2002(平成14)、2006(平成18)年と3大会連続、ユーロには1996(平成8)、2000(平成12)、2004(平成16)、2008(平成20)年と4大会連続で出場している。しかし、大会直前に怪我をしていたり、不慣れなポジション(左サイド等)でのプレーを強いられることが多く、本大会で実力を発揮できているとは言えない。
1998(平成10)年11月の大怪我から不調に苦しむ間にフランチェスコ・トッティの台頭もあり、2000年代からは背番号10をトッティに譲る。「僕は『7』の方が合っている」と言って快く譲るなど性格、人間性なども優れた人格者でイタリア国内での人気も高い。なお何故7番かといえば「初めてもらった背番号がこれだったから」とのこと。
2002(平成14)年日韓ワールドカップでは、予選で5得点と良い成績を残したが、本大会前になって監督ジョバンニ・トラパットーニはシステムをより守備的なものに変更、スタメンを外される。それでもグループリーグのメキシコ戦で途中出場ながらワールドカップ初ゴールを決めてこの試合を1-1の引き分けに持ち込み、グループリーグ敗退の危機にあったチームを救った。