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11月13日、今日は【レッド・ホルツマン、忌日(1998)】
更新 : 2011/11/22 1:40
今日は【レッド・ホルツマン、忌日(1998(平成10)年)】です。
レッド・ホルツマン(William "Red" Holzman)とは、北米のプロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手、ニューヨーク・ニックスを代表する元コーチで、監督として1986(昭和61)年にバスケットボール殿堂入り。ニューヨーク市ブルックリン出身。
少年時代から地元ではストリートでも名を馳せたバスケットボール選手で、ホルツマンは高校最終学年時の1938(昭和13)年にはニューヨーク市の公立学校スポーツ選手殿堂に入った。高校卒業後はボルチモア大学、後にニューヨーク市立大学シティカレッジに進み、1942(昭和17)年に卒業。大学を卒業すると海軍に入り、バスケットボールをプレイした。1945(昭和20)年に海軍を除隊、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)のロチェスター・ロイヤルズに入団。
1953(昭和28)年までロイヤルズでプレイし、続く1953-54シーズンにはミルウォーキー・ホークスに選手兼監督として迎え入れられ、このシーズンを最後に選手としては引退した。9年間の選手生活で496試合に出場し生涯通算得点は3,668点、1試合平均得点は7.4だった。
ミルウォーキー・ホークスで4年間監督を務め83勝120敗、勝率40.8パーセントだった。1957(昭和32)年よりアシスタントコーチの役職でニューヨーク・ニックスに参加、翌年からはチーフスカウトの仕事も任せられた。1967-68シーズン途中でホルツマンはアシスタントコーチから監督へと昇格。
1953(昭和28)年以降、ホルツマンは18年間の監督生活で696勝604敗、通算勝率は5割3分5厘。ニックスの監督としては613勝484敗、勝率5割5分8厘。ニックスでの勝ち数613は、同チームでホルツマンの業績を称えるため永久欠番扱いとなっている。ホルツマンはプロバスケットボール記者協会により1970年代最高の監督の賞を与えられている。
ホルツマンはディフェンスを重視する姿勢がよく知られ、「ディフェンスが良ければオフェンスも自ずと良くなる」が信条だった。ホルツマン指揮下のニックスはのちに殿堂入りする選手が数名含まれる才能溢れるチームだったが、選手たちは無私の精神でプレイに取り組んだ。ホルツマンのもとでプレイし、のちに監督として有名になるフィル・ジャクソンは、後年ホルツマンと当時のニックスの風潮が自らの監督としてのスタイルに影響を与えたと述べている。