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11月27日、今日は【松下幸之助、誕生日(1894)】
更新 : 2011/11/30 22:09
今日は【松下幸之助、誕生日(1894(明治27)年)】です。
松下幸之助(まつしたこうのすけ)とは、日本の実業家。パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。
松下幸之助は、生家松下家が幼い頃に凋落してしまったという理由で小学校を中退し、満9歳にして親元を離れ、単身大阪に出て丁稚奉公に勤めるようになる。多くの感性が育まれる年頃に、奉公して過ごしてゆく中、卓抜な商才と要領のよさを目覚めさせて行った。仕事は早く、金銭の使いかたに対する感覚は鋭いものだった。
青年のころ、大阪では開通したばかりの市電が走っていた。電車が電気によって走るのを見て「これからは電気の時代が来る」と直観し、大阪電灯に見習工として入社した。その後会社を辞め独立、自宅の土間に作業場を作り、自らの開発したソケットの製造販売を始めた。当初は閑古鳥の鳴く日々の連続だったが、妻の内助の功もあって底暮らしも何とか乗り切り、やがて扇風機の部品の需要などに乗って徐々に受注も増えていった。1918(大正7)年、幸之助は松下電気器具製作所を設立する。配線器具やランプなど、わかりやすくて品質の良い製品を多く製作し、創業から4年5年ほど経た後には、松下幸之助は社員50名を抱える中堅企業の主になっていた。1930(昭和5)年に開発したラジオは非常に故障が少ないと評判で、東京放送局のラジオセットコンクールでも1等に選出された。これによって「松下」の名前は一躍有名になる。総合電器メーカーとしての地位を固めた松下電器は、時を経ずに株式会社に改組し、電球や造船、飛行機製造といった関連会社を次々と設立していった。
松下幸之助は、独自の思想をもって経営に携わる名手としても天才的な技量を発揮した。それぞれの部門が事業を責任をもって推進できる事業部制を採用したり、あるいは従業員との対話や企業の一体感の維持に並ならぬ努力を注いだりしている。1980(昭和55)年には、将来の日本には確固たる信念をもったリーダーの存在が特別に必要であるだろうという信念のもと、リーダーを育成するための「松下政経塾」を開設した。やがて多くの経営者や政治家が、この門下から輩出されていった。