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  • 11月30日、今日は【北条実時、忌日(1276)】

    更新 : 2011/12/6 22:38

    今日は【北条実時、忌日(1276(建治2)年)】です。

    北条実時(ほうじょうさねとき)とは、鎌倉時代中期の武将。北条氏一門。金沢流北条氏の実質初代で、金沢実時(かねざわさねとき)とも。父は北条実泰。母は天野政景の娘。

    1233(天福元)年、10歳で3代執権北条泰時を烏帽子親に元服。翌1234(文暦元)年に出家した父から小侍所別当を移譲される。若年を理由に反対の声があったが、執権泰時はそれを押さえて実時を起用した。その頃、泰時の子時氏・時実が相次いで早世し、泰時の嫡孫北条経時が得宗家の家督を継ぐ事になっており、泰時は経時の側近として同年齢の実時の育成を図ったのである。泰時は2人に対し「両人相互に水魚の思いを成さるべし」と言い含めていた。以後3度にわたって同職を務める。

    4代執権北条経時、5代北条時頼政権における側近として引付衆を努め、1253(建長5)年には評定衆を務める。1264(文永元)年には得宗家外戚の安達泰盛と共に越訴頭人となり幕政に関わり、8代執権の北条時宗を補佐し、寄合衆にも加わった。

    文永の役の翌1275(建治元)年には政務を引退し、六浦荘金沢(現・横浜市金沢区)に住み、蔵書を集めて金沢文庫を創設する。翌1276(建治2)年に死去、享年53。

    文化人としても知られ、明経道の清原教隆に師事して法制や漢籍など学問を学び、舅の政村からは和歌など王朝文化を学ぶ。源光行・親行父子が校訂した河内本『源氏物語』の注釈書を編纂する。また、実子実政にあてた訓戒状も知られる。

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