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12月6日、今日は【黄門忌(1700)】
更新 : 2011/12/12 3:44
今日は【黄門忌】です。
由来は、「水戸黄門」で知られる水戸藩主・徳川光圀の1700(元禄13)年の忌日。
徳川光圀(とくがわみつくに)とは、江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主。水戸黄門としても知られる。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男、母は側室・谷氏。徳川家康の孫に当たる。藩主時代には寺社改革や殉死の禁止、快風丸建造による蝦夷地の探検などを行ったほか、後に『大日本史』と呼ばれる修史事業に着手し、古典研究や文化財の保存活動など数々の文化事業を行った。また、徳川一門の長老として、将軍綱吉期には幕政にも影響力を持った。
同時代から言行録や伝記を通じて名君伝説が確立しているが、江戸時代後期から近代には白髭と頭巾姿で諸国を行脚してお上の横暴から民百姓の味方をするフィクションとしての黄門漫遊譚が確立する。水戸黄門は講談や歌舞伎の題材として大衆的人気を獲得し、昭和時代には映画やテレビドラマなどの題材とされた。実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく、現在の関東地方の範囲から出た記録は無い。
徳川光圀は、母親の胎内に宿ったとき、堕胎させられそうになった。それを水戸藩家老の三木之次が自宅に隠して出産させ、幼少期を育てたおかげで光圀は生き延びた。時代は変わって1918(大正7)年、大阪四天王寺の路上で電気器具を売っていた23歳の青年がヤクザにからまれているのを助けたのが、光圀を育てた水戸藩家老三木之次の子孫、三木啓次郎。その青年が売っていた二股ソケットを見て、『これは売れる!』と考えた三木が資金援助をしたおかげで、その青年は大成功を収めることになる。
それから約40年、押しも押されぬ大企業になったその青年の会社、"松下電器"は、TBSの月曜夜8時のゴールデンタイム『ナショナル劇場』のスポンサーに。TBSの番組会議で水戸黄門のドラマの企画が上がったが、当時は学生紛争や反戦運動が盛んで 『反・権威主義』の時代。そんな時代に、印籠を取り出して副将軍の権威を振りかざすような番組には反対の声が上がったが、水戸藩家老の子孫に助けられた松下幸之助氏の、『黄門さん、よろしいなぁ〜』 の鶴の一声で放送決定。このテレビ放送のおかげで、それまではそれほど知られていなかった"水戸黄門"がお年寄りから子供まで知らない人のいない国民的英雄になる。何か時代を超えた素晴らしい"ご縁"というものを感じる。