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  • 12月9日、今日は【嘉納治五郎、誕生日(1860)】

    更新 : 2011/12/21 2:31

    今日は【嘉納治五郎、誕生日(1860(万延元)年)】です。

    嘉納治五郎(かのうじごろう)とは、日本の柔道家、教育者である。講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。

    1860(万延元)年旧暦10月28日(新暦12月9日)、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治朗作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があった。1873(明治6)年、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。

    1874(明治7)年、育英義塾に入塾。その後、官立東京開成学校(のちの東京大学)に進学。1877(明治10)年に東京大学に入学した。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時であり柔術は全く省みられなくなり、師匠を探すのにも苦労し柳生心眼流の大島一学に短期間入門したりした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。

    1879(明治12)年7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。8月、福田が52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。

    1881(明治14)年、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術二流派の技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。

    1882(明治15)年、下谷北稲荷町16(現・台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁、将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。

    1883(明治16)年10月、起倒流皆伝。治五郎は柔術のみならず剣術や棒術、薙刀術などの他の古武道についても自らの柔道と同じように理論化することを企図し香取神道流や鹿島新当流の師範を招いて講道館の有段者を対象に「古武道研究会」を開き、剣術や棒術を学ばせた。また弟子を選抜し大東流合気柔術(後に合気道を開く)の植芝盛平や神道夢想流杖術の清水隆次などに入門させた。

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