宿・ホテル予約 > 和歌山県 > 白浜・龍神 > 白浜・南部・田辺 > SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのブログ詳細

宿番号:348385

海と空に囲まれた絶景のリゾートへ・・【お得なクーポン配布中♪】

白浜温泉
阪和自動車道【終点】南紀田辺ICから車で約20分 JRきのくに線白浜駅・白浜空港よりタクシーで約10分

SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 12月10日、今日は【林信太郎、忌日(1868)】

    更新 : 2011/12/22 0:22

    今日は【林信太郎、忌日(1868(明治元)年)】です。

    林信太郎(はやししんたろう)とは、新撰組伍長、靖共隊伍長。

    武蔵国出身。1863(文久3)年5月頃、結成されたばかりの壬生浪士組(後の新選組)に入隊。

    芹沢鴨暗殺事件直後の9月26日、新撰組にまぎれていた長州藩のスパイ数名が壬生の屯所内で殺害される事件があった。このときスパイとして命を狙われたのは、御倉伊勢武、荒木田左馬之介、楠小十郎、松永主計、松井竜次郎、越後三郎で、いずれも壬生浪士組時代に「長州藩での勤皇論に異論がある」という理由で入隊したメンバーだった。

    壬生浪士組では「国事探偵」というポストを与えられていた。この長州藩スパイ掃討作戦に林も参加し、荒木田左馬之介が髪結い中に、背後から脇差で突き刺して殺害した。このほか、斉藤一が御倉、原田左之助が楠を殺害した。沖田総司、藤堂平助、井上源三郎が殺害しようとした松永、松井、越後の3名はからくも脱走に成功した。だが、このスパイ掃討作戦は実は芹沢派掃討作戦だったのではないかともいわれている。

    1864(元治元)年6月の池田屋事件では土方歳三の隊に属し、四国屋方面の探索をし、池田屋へ向かい近藤勇を援護した。現場には遅れて到着したが、すぐにも屋内での戦闘に参加し、事件後に17両の報奨金を授けられる活躍をした。

    1868(明治元)年には鳥羽・伏見の戦い、甲陽鎮撫隊の一員として出陣した。だが、甲州での敗北後は永倉新八、原田左之助に従って靖共隊に参加し、北関東から会津まで転戦した。会津において敗北を重ねた靖共隊は瓦解してしまうが、林はその後も会津藩兵とともに新政府軍と戦い続け、10月1日の水戸城攻撃にも参加した。ここで水戸藩の反撃を受けると旧幕府諸隊は降伏するが、林は一部同志とともにさらに戦い続け、水戸街道での久留米藩兵との戦いで討ち死にした。

宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。