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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
12月12日、今日は【明太子の日】
更新 : 2011/12/24 1:25
今日は【明太子の日】です。
由来は、1914(大正3)年の今日、日本で初めて「明太子」という名称が新聞(関門日日新聞)に登場したことから、韓国伝来の辛子明太子が初めて日本に到来した発祥の地の山口県下関で明太子専門業として、辛子明太子を全国に普及させてきた前田海産株式会社が制定。
明太子(めんたいこ)とは、辛子明太子(からしめんたいこ)といい、「明太子・たらこ」を唐辛子を主に使用し味付けしたもので、食材および食品の一種である。博多(福岡県福岡市)の名産品で、広く九州・山口地方の土産物としても知られる。
辛子明太子のルーツは、韓国の「明太子のキムチ漬」と言われている。その語源は複数の説がある。中国語で、スケトウダラを「明太」(ミンタイ)もしくは「明太魚」(ミンタイユー)と呼んでいたことに由来とする説。つまり「明太子」とはスケトウダラの子、即ち「タラコ」という意味になる。なお、日本では「鱈」の字が文書に現れるのは1670(寛文10)年であり、そもそもはスケトという呼び名だった。
『世宗実録』に「1424(応永31)年、韓国の監司がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っているが、タラコはどこにでもあるもので、学術的に辛子明太子と結びつけることはできない。スケトウダラを加工して食べる食文化は朝鮮半島でも広まり、また日本の江戸時代でも広まった。
国内においても古くからスケトウダラは漁獲されており、1903(明治36)年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケトウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられるようになった。そして1910(明治43)年から1921(大正10)年にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷された。
明太子とは「スケトウダラの子」という意味であり「たらこ」を示す言葉として使うのが正しい。元々たらこを示す言葉としての「明太子」が使われない地域に、お土産としてメジャーになった「辛子明太子」がもたらされ、そのうちにその「辛子明太子」の略称としての「明太子」が全国的に広がっていったと考えられている。日本の各地において、「明太子」という言葉を辛子明太子のことを指す人もいるが、博多をはじめとした西日本の一部地域では、唐辛子を使わないいわゆる「たらこ」を示す言葉として辛子明太子と使い分けている。