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  • 12月12日、今日は【中岡慎太郎、忌日(1867)】

    更新 : 2011/12/25 3:26

    今日は【中岡慎太郎、忌日(1867(慶応3)年)】です。

    中岡慎太郎(なかおかしんたろう)とは、日本の志士(活動家)。陸援隊隊長。名は道正。通称ははじめ福太郎(福五郎とも)、光次、のち慎太郎。号は遠山・迂山など。変名は石川清之助(誠之助)など。贈正四位(1891(明治24)年4月8日)。

    1838(天保9)年4月13日、土佐国安芸郡北川郷柏木村(現・高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋・中岡小傳次、はつの長男として生まれる。武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術を学び、1861(文久元)年には武市が結成した土佐勤皇党に加盟して、本格的に志士活動を展開し始める。

    しかし、土佐勤王党が次第に過激な行動を取るようになったため、中岡は土佐藩を脱藩。長州へ移り、長州藩の庇護のもとで尊王攘夷運動を行う。都落ちしていた公家の三条実美の配下となり、各地の志士たちと交流する。

    1864(元治元)年7月、蛤御門の変に参戦するも敗退。この経験から長州単独による倒幕は無理と考え、薩摩との連合を画策。同年12月、薩摩の西郷隆盛と面会、翌1865(慶応元)年には長州の桂小五郎と面会。その結果、1866(慶応2)年1月、坂本龍馬の仲介のもと薩長同盟が締結されるのであった。続いて、1867(慶応3)年6月、坂本龍馬と共に薩摩と土佐の密約締結にも成功。

    これらの慎太郎・龍馬の労苦の結晶である軍事同盟締結は、土佐藩内においては旧態依然とした兵制を改革させる決定的契機となり、土佐を戊辰戦争において薩摩・長州・肥前と並ぶ倒幕の主要勢力たらしめた。また同時に、倒幕後の政治ビジョンを描かざるを得ないことから封建制・幕藩体制をどう変えていかなければならないかという意識改革・藩政改革を他の諸藩よりも早めに進めざるを得なくなり、土佐出身者を薩摩・長州・肥前出身者同様に幕末・明治をリードする主要政治勢力たらしめた。

    7月、かねてから長州で見聞していた奇兵隊を参考に陸援隊を本格的に組織し始め、自ら隊長となり、白川土佐藩邸を陸援隊の本拠地と定める。この頃、討幕と大攘夷を説いた『時勢論』を著す。

    11月15日(新暦12月10日)、京都四条の近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され、瀕死の重傷を負う(近江屋事件)。龍馬は即死ないし翌日未明に息絶えたが、慎太郎は二日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城などに詳細に語り、11月17日に死去した。享年30。

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