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12月13日、今日は【正月事始め】
更新 : 2011/12/27 8:52
今日は【正月事始め】です。
由来は、年神を迎える準備を始めるもので、正月を迎える準備を始める日とされる。昔はこの日に煤を払い、門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。現代でも「年用意」としてこの日を祝うところもある。【煤払いの日】【松迎えの日】ともいわれる。
平安時代から江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、旧暦の12月13日の二十八宿は必ず「鬼」になっており、鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、正月の年神様を向かえるのに良いとして、この日が選ばれた。その後の暦では日附と二十八宿とは一致しなくなったが、正月事始めの日附は12月13日のままとなった。
宣明暦(せんみょうれき)とは、中国暦の一つで、かつて中国・日本などで使われていた太陰太陽暦の暦法である。正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)と言う。特に日本においては中世を通じて823年間継続して使用され、史上最も長く採用された暦となった。
859(天安3)年に渤海使がもたらし、それまでの大衍暦・五紀暦に代わり用いられる。暦博士大春日真野麻呂の強い推挙によるものとされている。
その後、朝廷の衰退や遣唐使の廃止以後、日本の朝廷が中国王朝との正式な外交関係を持たなかったこと、日本の暦学(暦道)自体が独自の暦法を作る水準までに達していなかったことによって改暦が行われず、長期にわたり使用されたために誤差が蓄積することになる。
また、暦の編纂は本来は朝廷が独占して行うものであり、暦の算出法に関する書物は陰陽寮以外には秘書とされていたが、宣明暦があまりにも長く使用されていたために、次第に民間に流布するようになり、さらには出版されるようになった。さらに、鎌倉時代以降は朝廷の力が弱まり、京で作られた暦が地方へ伝達しにくくなったことから、各地で独自に宣明暦の暦法によった暦(民間暦)が作られるようになった。
ところが、戦国時代に朝廷において暦道を担当していた勘解由小路家(賀茂氏)が断絶した影響などで京における暦の編纂に混乱が生じると、京と地方の民間暦との間で置閏法などに違いが生じるなどの混乱が発生した。
更に江戸時代初期には、二十四節気が実際よりも2日早く記載されるようになっていたこのために渋川春海によって貞享暦が編纂され改暦が行われる。