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12月15日、今日は【三子教訓状(1557)】
更新 : 2011/12/26 13:57
今日は【毛利元就が息子へ三子教訓状を記す(1557(弘治3)年)】です。
三子教訓状(さんしきょうくんじょう)とは、毛利元就が1557(弘治3)年に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書である。これを含む「毛利家文書」は重要文化財に指定されており、山口県防府市の毛利博物館に収蔵されている。
この文書は、三矢の教えとしても有名である。「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」という有名な三本の矢の逸話は、この三子教訓状が基になって作られたと言われている。なお、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話がある。
広島県のプロサッカーチーム「サンフレッチェ広島」のニックネーム「サンフレッチェ」とは「三矢の教え」に因んだ造語。日本語の「三」とイタリア語で矢を意味する「フレッチェ」を繋げたもの。
第一条
何度も繰り返して申すことだが、毛利の苗字を末代まで廃れぬように心がけよ。
第二条
元春と隆景はそれぞれ他家(吉川家・小早川家)を継いでいるが、毛利の二字を疎かにしてはならぬし、毛利を忘れることがあっては、全くもって正しからざることである。これは申すにも及ばぬことである。
第三条
改めて述べるまでもないことだが、三人の間柄が少しでも分け隔てがあってはならぬ。そんなことがあれば三人とも滅亡すると思え。諸氏を破った毛利の子孫たる者は、特によその者たちに憎まれているのだから。
第四条
隆元は元春・隆景を力にして、すべてのことを指図せよ。また元春と隆景は、毛利さえ強力であればこそ、それぞれの家中を抑えていくことができる。今でこそ元春と隆景は、それぞれの家中を抑えていくことができると思っているであろうが、もしも、毛利が弱くなるようなことになれば、家中の者たちの心も変わるものだから、このことをよくわきまえていなければならぬ。
第五条
この間も申したとおり、隆元は、元春・隆景と意見が合わないことがあっても、長男なのだから親心をもって毎々、よく耐えなければならぬ。また元春・隆景は、隆元と意見が合わないことがあっても、彼は長男だからおまえたちが従うのがものの順序である。元春・隆景がそのまま毛利本家にいたならば、家臣の福原や桂と上下になって、何としても、隆元の命令に従わなければならぬ筈である。
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第十四条まである。