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  • 12月30日、今日は【山背大兄王、忌日(643)】

    更新 : 2011/12/30 23:44

    今日は【山背大兄王、忌日(643(皇極天皇2)年)】です。

    山背大兄王(やましろのおおえのおう)とは、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』では厩戸皇子(聖徳太子)の子であるとされる。

    『日本書紀』皇極紀に拠ると、推古天皇が病没した後にその後継問題が発生し、蘇我氏の庶流境部摩理勢らは山背大兄王を擁立する。その結果、蘇我蝦夷の擁立する田村皇子らと皇位を争う。だが、蝦夷から山背大兄王に対して自重を求める意見をされたこともあって皇位は田村皇子が継承することとなり、629(舒明天皇元)年に即位(舒明天皇)する。

    蘇我蝦夷が山背大兄王を避けた理由については、山背大兄王がまだ若く未熟であった、あるいは山背大兄王の人望を嫌ったという説がある。

    だが、蘇我氏の実権が蝦夷の息子の蘇我入鹿に移ると、入鹿はより蘇我氏の意のままになると見られた古人大兄皇子の擁立を企て、その中継ぎとして皇極天皇を擁立した。このため、王と蘇我氏の関係は決定的に悪化する。

    643年(皇極天皇2)年11月1日(新暦12月20日)、ついに蘇我入鹿は巨勢徳多、土師猪手、大伴長徳および100名の兵に、斑鳩宮の山背大兄王を襲撃させる。山背大兄王の奴三成と舎人10数人が矢で土師娑婆連を殺し、馬の骨を残し一族と三輪文屋君、舎人田目連とその娘、莵田諸石、伊勢阿倍堅経らを連れ斑鳩宮から脱出し、生駒山に逃亡した。家臣の三輪文屋君は、「乘馬詣東國 以乳部爲本 興師還戰 其勝必矣」(東国に難を避け、そこで再起を期し、入鹿を討つべし)と進言するが、山背大兄王は戦闘を望まず「如卿所 其勝必然 但吾情冀 十年不役百姓 以一身之故 豈煩勞萬民 又於後世 不欲民言由吾之故 喪己父母 豈其戰勝之後 方言丈夫哉 夫損身固國 不亦丈夫者歟」(われ、兵を起して入鹿を伐たば、その勝たんこと定し。しかあれど一つの身のゆえによりて、百姓を傷りそこなわんことを欲りせじ。このゆえにわが一つの身をば入鹿に賜わん)と言った。山中で山背大兄王発見の報をうけた蘇我入鹿は高向国押に逮捕するように命ずるが断られる。

    結局、山背大兄王は生駒山を下り斑鳩寺に入り、11月11日(新暦12月30日)に山背大兄王と妃妾など一族はもろともに首をくくって自害し、上宮王家はここに絶えることとなる。蘇我蝦夷は、入鹿が山背大兄王を殺害したことを聞き、激怒した。

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