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1月3日、今日は【坂本龍馬、誕生日(1836)】
更新 : 2012/1/4 19:35
今日は【坂本龍馬、誕生日(1836(天保6)年)】です。
坂本龍馬(さかもとりょうま)とは、日本の近世末期に活動した武士。土佐藩出身。諱は直柔(なおなり)。龍馬は通称。贈正四位(1891(明治24)年4月8日)。
1835(天保6)年、土佐国土佐郡上街本町一丁目(現・高知県高知市上町一丁目)の土佐藩郷士(下級武士)坂本家に父・八平、母・幸の間の次男として生まれた。坂本家は領知197石を有し、豪商才谷屋の分家で非常に裕福な家庭だった。
幼少時愚鈍の評があったが、城下築屋敷の日根野弁治道場での剣術修行でたくましくなった。1853(嘉永6)年3月より江戸に出て北辰一刀流千葉定吉道場に剣を学び、1856(安政3)年8月、北辰一刀流の免許を得る。1861(文久1)年8月土佐勤王党が結成されるやこれに加盟。
在郷当時、海外事情に詳しい絵師河田小龍の通商航海論に共鳴していた龍馬は、江戸で異色の幕臣勝海舟(かつかいしゅう)を訪い、その見識に感激して入門、単純な攘夷論を捨て、航海術を修業し、勝の信頼を受け、勝を補佐して活動した。1863(文久2)年には、勝の主唱による神戸海軍操練所の設立に東奔西走、10月その塾頭となったが、1864(元治1)年10月には勝の突然の失脚によって、操練所は解散された。
操練所解散後、龍馬は薩摩藩の保護を受け、1865(慶応1)年5月ごろ、同志を率いて長崎に亀山社中を設けて通商航海業に乗り出し、これを媒体として倒幕のため薩長2藩を同盟させる運動に奔走、中岡慎太郎と協力して翌1866(慶応2)年1月20日には京都で薩長同盟を成立させた。その直後の23日、伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受け、寺田屋の養女お龍の機転で危うく難を免れ、お龍と結婚した。薩長同盟の成立は幕府の長州再征を失敗に導いた。
1866(慶応2)年土佐藩が貿易のため長崎に設けた土佐商会に出張してきた参政後藤象二郎と龍馬は翌1867(慶応3)年1月に会談。土佐藩は、龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪を許し、龍馬は海援隊長、中岡は陸援隊長となった。6月、後藤とともに藩船で京都に向かう船中で龍馬は、大政奉還、公議政治などの新国家構想をいわゆる「船中八策」としてまとめ、10月山内容堂は将軍徳川慶喜に大政奉還を建白、慶喜はこれをいれて、10月15日大政奉還は実現した。その後も龍馬は土佐、長崎、福井などを奔走、新政府の構想を練っていたが、11月15日夜、京都の下宿近江屋で中岡慎太郎と会談中、幕府見廻組に暗殺された。享年33。