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  • 1月13日、今日は【咸臨丸出航記念日】

    更新 : 2012/1/13 19:42

    今日は【咸臨丸出航記念日】です。

    由来は、1860(万延元)年の今日、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が、勝海舟、福沢諭吉、中浜万次郎らの遣米使節を乗せ、江戸品川沖を出発したことから。日米修好通商条約の批准が目的であったが、日本人初の正式な太平洋横断航海でもあった。

    咸臨丸(かんりんまる)とは、幕末期に江戸幕府が保有していた初期軍艦。木造で3本のマストを持つ蒸気船である。「咸臨」とは『易経』より取られた言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味する。

    洋式の軍艦としては、観光丸(外輪船)に次ぐ2番艦であるが、洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦である。幕府の船として初めて太平洋を往復したことから名を知られる。幕府の練習艦として用いられた後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣り、既に運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって拿捕される。明治政府に接収された後、開拓使の輸送船となった。

    【艦歴】
    1855(安政元)年7月、オランダのキンデルダイクにて起工。
    1857(安政3)年3月、完成。8月4日(旧暦)、日本へ送られ、長崎海軍伝習所の練習艦となる。
    1860(万延元)年旧暦1月13日、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として品川を出帆。旧暦2月26日(新暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝海舟。

    1862(文久元)年、小笠原諸島を巡視し、父島と母島を探検(艦長は小野友五郎)。
    1866(慶応元)年、酷使が祟り、疲弊が激しく故障頻発していた蒸気機関を撤去。帆船となる。
    1868(慶応3)年、戊辰戦争が起こる。
     旧暦8月19日、海軍副総裁榎本武揚の指揮で品川沖を脱走。
     旧暦8月23日、銚子沖で暴風雨に遭い、下田港に漂着。
     旧暦9月11日、咸臨丸は修理が遅れたため新政府軍艦隊に追い付かれ、新政府軍艦隊に敗北。乗組員の多くは戦死または捕虜となる。逆賊として放置された乗組員の遺体を清水次郎長が清水市築地町に埋葬。

    1871(明治3)年旧暦9月19日、北海道木古内町泉沢沖で暴風雨により遭難し、沈没する。
    1887(明治20)年、清水次郎長が清水市興津の清見寺に咸臨丸乗組員殉難碑を建立。
    1984(昭和59)年、サラキ岬沖で鉄製の朽ちた錨が発見される。
    2006(平成18)年9月20日、錨は咸臨丸のものと発表される。

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