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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
1月14日、今日は【愛と希望と勇気の日】
更新 : 2012/1/15 19:59
今日は【愛と希望と勇気の日】です。
由来は、1959(昭和34)年の今日、南極観測船「宗谷」の一行が昭和基地に着いたとき、その前年、心ならずも置き去りにしたカラフト犬タロとジロが生きているのを発見した。この2頭の犬の勇気をたたえ、生きることへの希望と愛することの大切さを忘れないために制定された。
1955(昭和30)年10月、稚内市にて風連のクマの子として生まれ、タロ・ジロ・サブロの3兄弟だった。この名前は白瀬矗の南極探検の際、犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、タロとジロにちなむ。
1956(昭和31)年、南極観測隊に樺太犬による犬ぞりの使用が決定される。当時の北海道には樺太犬は約1,000頭が居たが、この中から3頭の兄弟と父親を含む23頭が集められ、稚内で訓練が行われた。このうちサブロは訓練中に病死する。
1956(昭和31)年11月、総勢53名の第1次南極観測隊隊員がタロ、ジロを含む22頭の樺太犬と共に東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発。宗谷には暑さに弱い樺太犬達の為に、赤道越えのための冷房室が特別に用意された。昭和基地に到着すると、病気などでそのまま帰国する3頭を除いた19頭の犬たちは、1957(昭和32)年の第1次越冬隊において犬ぞり曳きなどに使役された。越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となった。
1958(昭和33)年2月、宗谷が南極付近に到着した。昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わって越冬するため、宗谷は第2次越冬隊を乗せていた。しかし、天候の悪化から宗谷は昭和基地には到着できなかった。昭和基地から帰還する第1次隊員の人間たちでさえ小型雪上機でかろうじて宗谷に帰還する有様であり、15頭の犬は犬ぞりに首輪で昭和基地付近に繋がれたままにされ、犬達の生存は絶望視された。この犬を置き去りにしたことにより、観測隊は激しい非難を浴びることとなった。7月には大阪府堺市に15頭を供養する銅像(樺太犬慰霊像)が建立された。
ところが、1959(昭和34)年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存していることが確認される。着陸すると駆け寄ってきて操縦士に寄ってきたが、大きく成長していて、どの犬だったのか判別がつかなかった。頭を撫でながら次々と犬の名を呼び掛けると、1頭はタロの名のところで反応して尻尾を振った。もう1頭もジロの名に反応したことから、この兄弟が生存していたことが確認されたのである。