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  • 2月1日、今日は【琉球王国建国記念の日】

    更新 : 2012/2/3 23:54

    今日は【琉球王国建国記念の日】です。

    由来は、1425(応永32)年、中国、明王朝の宣徳帝が琉球王国の尚巴志を王として認定した書簡が、琉球の交易記録書「歴代宝案」の中にあり、2月1日と記録されている。これが琉球王国が対外的に認定された日付が確認できる最古の文書であることから、沖縄県観光事業協同組合が制定。

    琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429(正長2・永享元)年から1879(明治12)年にかけて沖縄本島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく)と称した。最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。

    勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られる。

    明、およびその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609(慶長14)年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸と日本の文化の両方の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。

    琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、12世紀、源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、1922(大正11)年には為朝上陸の碑が建てられた。

    1609(琉球暦万暦37・和暦慶長14)年3月8日に、薩摩藩の島津氏は当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。3月26日には沖縄本島に上陸、4月5日には尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。

    1871(明治4)年、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄としたが、1872(明治5)年には琉球藩を設置し、琉球国王尚泰を琉球藩王に封じた。1879(明治12)年の琉球処分により沖縄県が設置され、沖縄県令として鍋島直彬が赴任するに至り、王統の支配は終わった。琉球の王族は、日本の華族とされた。

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